「三蔵」(みつくら)の愛称で親しまれている、
水郷のまち延岡を代表する三酒蔵
(佐藤焼酎製造場株式会社、千徳酒造株式会社、宮崎ひでじビール株式会社)の
社長達による初の鼎談が実現!各社の看板商品の評価をはじめ、
これまで実績や今後の展望を大いに語り合う。
「水郷のまち」延岡に「三蔵」あり
▲左から:宮崎ひでじビール株式会社/永野時彦社長、佐藤焼酎製造場株式会社/水江順治社長、千徳酒造株式会社/門田賢士社長
市内に四本の清流が流れることから「水郷のまち」と呼ばれる宮崎県延岡市。その水の美しさから、焼酎、日本酒、地ビールといったジャンルの異なる酒蔵が独自の味を求めこの地に根付き、それぞれが全国を舞台に活躍しています。
またこの三つの蔵には「世界一」「全国一」「全国初」「最南端」など、様々な実績があり、共に高いレベルでお互いを刺激しあい、日々品質の向上だけでなく、地域と連携した活動等に企業として積極的に参加するなど、地元の活性化に力を注いでいるのが見てとれます。
今回のレポートでは、三人の社長による鼎談の模様と合わせて、三酒蔵をめぐり、こだわりの製法やコンセプト、さらに女性利き酒師・武井千穂さんが選んだおすすめ商品などをご紹介します。
鼎談その1 テーマ:地元へのこだわり
▲左から:宮崎ひでじビール株式会社/永野時彦社長、佐藤焼酎製造場株式会社/水江順治社長、千徳酒造株式会社/門田賢士社長
—–地域と蔵(企業)との関わりやコンセプトをお聞かせください。
水江さん(佐藤焼酎)
まず、そこ(延岡)に存在した必然性について話しをすると、4年前に安倍総理が政策として「美しい国・日本」という言葉をあげられたほど、 日本は美しい自然に恵まれ、長い歴史や文化を築き上げた……。
その歴史と文化の中で、酒は神に供えるために醸して、神事へ、そのあと祭りに付随した美酒、コミュニケーションをはかるための交信手段として「酒」が用いられた。昔から「ハレの日」には酒で祝った。日本は美しい自然に恵まれたからこそ、自然を生活の中に取り入れ、このような生活の文化・伝統が発展してきた。それは酒も焼酎もビールも同じこと。さらに酒という分野において、日本のビールは私たちが進化を求め形となったもの……。まずはこのことが「生活においての酒の必然性」だと思う。
遡って江戸時代、延岡藩は天領ということもあり、清酒が上方から持ち込まれてきたのだが、上方の人々が酒を囲んで飲み食いしている「娯楽」の中に、身分の違いから一般人は入ることができなかった……。そんなことから、もともと九州地方は薩摩の影響から「焼酎」が愛されていた地域だったこともあり、延岡では「佐藤焼酎」の初代が明治時代の新政府になって酒造の免許をとり、一般人・労働者が気軽に楽しめるアイテムとして焼酎を地元に広め、現在に至るまで地域と密接につながりながら文化と伝統を作り上げた。移り変わる時代の中で、今なお不変である「酒」という存在は、れっきとした日本文化であり伝統産業だと思う。
—–明治創業の酒造会社が多いのは、そのような理由からでしょうか?
水江さん(佐藤焼酎)
当時は自家醸造が多く、限られたところしか造ることができなかった。しかし国も政策や財政面から「物資」にしようという動きがあり、明治35年に免許制度に変わった。その免許を取るという意味で、明治創業の会社が多いのではないかと思う。元をたどれば、江戸時代よりも前に、自家醸造の造り酒屋として営んでいるところも多いと思う。なにせこの宮崎県の県北地区にもかつては22社もあったのだから……。
酒類の発展には生産や暮らしの技術が影で大きく影響していた。世界を見ると、ビールは紀元前からのものだしね……。クレオパトラの鼻が短ければ歴史が変わっていただろうと言われるように、アルコールが無ければ歴史はまったく違うものになっていたかも。
永野さん(ひでじビール)
世界で考えるとビールの歴史は長いが、日本においてはビールは「後発品」だと思う。ましてや、われわれの「地ビール」は近年の文化……。
水江さん(佐藤焼酎)
ビールは「異文化」という感覚ではないだろうか?日本人が海外に渡るようになってから新しきものを取り入れ、それに添ったものを新しく生み出した……。アルコールというのは、娯楽でありながら「人の心の豊かさ」を育てる大切な役割を担っていると考えている。
—–いまの水江社長の話を聞いて、延岡市内には偶然か必然か、ジャンルの異なる三つの酒造会社が存在することについてどう感じますか?
永野さん(ひでじビール)
昔は日本酒の造り酒屋も宮崎県内にたくさんあった。それがしぼられて日本酒は千徳酒造さんだけになり、延岡市において焼酎は佐藤焼酎製造場さんだけになり、現在は当社の地ビールを合わせて三酒類が一社ずつ残っている。実は、これがすごいことだと気づいたのはここ数年の事……。
—–それは淘汰されたということでしょうか?
水江さん(佐藤焼酎)
ん〜、淘汰されたと言うより、アルコールが暮らしの中で必要不可欠な存在となり、その必要性を養い育てていくために、造り手が感受性を高めていかなければならなかった。さらに移り変わる歴史の中で相互に影響し合い、知恵を生み出し、試行錯誤をし続けた結果「私たちの会社が必要とされる存在」となり、生き残ることができたのかもしれない。そういう歴史を考えれば、決して偶然ではないと思う。
門田さん(千徳酒蔵)
かつては当社以外にも清酒蔵が多く、実は合併を繰り返して現在の「千徳酒造」になったと言われている。そんなことから株主が70名ほどいる。多くの場合、清酒にしても焼酎にしても、酒造を受けつぐのは「一族」であるが……。そうした意味からすれば特殊かもしれない。何故、この清酒には過酷な条件下である延岡の地で造り続けることができたのか?と問われれば、やはり必要とされたからだと思う。
—–延岡の気候が清酒の醸造に及ぼす影響は?
門田さん(千徳酒蔵)
県北部とはいえ、宮崎県は南国だからやはり苦労するね……。仕込みは温度が低いほうがいいし、発酵と気温の関係はとてもシビアだから……。
誰もが清酒といえば寒い地方をイメージされると思うが、なにより自分も千徳酒造に入社し、いろいろと知らされるまでは、「何で南国宮崎の延岡市で清酒をつくるのか?」って、その点が不思議だった。
ところで焼酎の発酵温度などは関係しますか(水江さんへの質問)?
水江さん(佐藤焼酎)
焼酎の場合、四季に合わせた品質設計、酒質設計で原料を選び「醸す」・「蒸す」・「寝かす」という行程のどの段階も、条件に合った気遣いがいる。
ちなみに、先程も申したように、延岡は「延岡藩」があり天領地だったのだが、江戸時代から明治時代にかけて繰り広げられた豪華絢爛な時代に、上方から移動してきた人々が好んで飲んだのは「清酒」で、清酒は必需品だった。しかし清酒がなくなるたびに上方から運んでくるのにはコストも労力もかかる。そう簡単に運ぶわけにもいかなかったため、清酒を造る技術を伝えて延岡でも造り始めた。だから清酒蔵が多かったと伝えられてる。
門田さん(千徳酒蔵)
日向市の耳川の方面も、天領地だったため清酒蔵が多かったと聞く。「北は日本酒文化、南は焼酎文化」と……。
水江さん(佐藤焼酎)
そうそう、徳川の時代に入って、日向国は細断されて支配を受けた。大きく分けて、美々津川を境として北部は米製と雑穀の焼酎を主体としているところだね。
—–日本酒や焼酎には、日本の社会や文化を支えている歴史的背景があります。しかし、地ビールというのはまったく異質ですよね?
永野さん(ひでじビール)
そう!かなり異色だよね。日本の歴史・延岡の歴史の流れの中で、ビールが地域や社会とつながり文化を育てている要素は無い。世界を視野に入れれば、ビールはかなり歴史の古い嗜好品だが、日本において、さらに延岡においてはまったく新しい文化と言える。
水江さん(佐藤焼酎)
江戸時代から明治維新後、外国の文化が多量に日本へ輸入されるようになったことで、このような小さな延岡にも豪華絢爛なものがあったんだなぁと感心したね。当時は延岡にも立派な洋館「迎賓館」があったというし……。この延岡の地で「洋」の雰囲気を演出するのに「ビール」こそ無くてはならないアイテムだったのではなかろうか?偶然ではなく必然的に新しい時代への革新のシンボルのひとつとして取り込まれてきたと考えるね……。
—–近年に起こった「地ビールブーム」と「ひでじビール」の関連性に関して永野さんはどう考えられますか?
永野さん(ひでじビール)
ビールは酒税法上で定められていた生産量というものがあり、大手企業しか造ることができない時代が長く続いた。1995年に規制緩和があり、最低生産量がぐっと下げられたことで「地ビール」というものが生まれてきた。
日本の歴史の中で、ビールというものは歴史が浅く、ましてや「地ビール文化」は後発的なもの。やはり「國酒」といわれる日本酒や焼酎との歴史とは比較にならず、文化の差も大きい。そんな中でも地ビールならではの歩みにはとても興味わく。
—–焼酎と日本酒には、地域との繋がりが簡単にイメージできます。しかし元々ビールは地域性というよりは、むしろ「大手企業の商品」というイメージが強く、日本酒や焼酎とは「立ち位置」が違うのがわかりました。さらに同じビールでも「地ビール工場」といえは「ワイナリー」のようなイメージがわきます。
永野さん(ひでじビール)
日本酒も焼酎も、日本の歴史には必要であったから生まれた。ビールは、他国からのものを取り入れたという差は大きいね。
水江さん(佐藤焼酎)
しかし、私たちの共通点は、酒造に使用している原料が「農作物」であるということには変らない。面白いのは、工業・企業でありながら、農業に一番近い所にいるということ……。それが我々独特の産業形態ではないか?
地ビールについても、もともと存在した地酒・地焼酎にしても、その地にあった農作物を活用していたという点は、これからの時代に必要とされる地域とのつながりを重要視した企業のありかただと思う。
また、それぞれの土地にあったスタイル、その土地に存在する美しい日本を守ろうという点でも、特に山間部においては、重要な「分業方式」ではないだろうか?これからも文化伝統を伝える過程や日々の暮らしの中には必ずある工業や企業や農業……。お互いを大いに活用して発展させるべきだと考える。
—–現在の実績があれば、交通面や人口などを考慮し、他の地域のほうがもっと楽に仕事ができるといったことを考えることはありませんか。
門田さん(千徳酒蔵)
今でも延岡をはじめとした宮崎県北地域でのシェアが9割。前社長が「乾杯は千徳で!」という活動を広めたことから、市内の様々な催しにおいて、乾杯には千徳を使っていただいている。地元で育ててもらった千徳酒造は延岡の市民なくして存在することができない。
さらに、この地にこだわる理由としては、とにかく水がいい。これは三社に共通することだが、製造において要となる「水」がいいのは土地の恵みに他ならない。当社でも仕込み水を4L100円で販売しているくらい素晴らしい。良い水があるからこそ、この三社がなりたっていると言える。
水江さん(佐藤焼酎)
何をもってこだわりというのか……。今の自分達には伝統というものがつきまとう。その意味をかみしめなければならない。それを守りぬくためにも、延岡ならではの自然界を生活のなかに「生きる知恵」として取り込んでいくことが大切だと思う。門田さんがおっしゃったように、特に「水」は「水郷のべおか」と歌われるほど良質で豊富。水の特性をよく知ることが焼酎の品質を向上させることに繋がる。だから土地のめぐみに感謝こそしても、離れることは考えられない。
また一方で、これまれまで守ってきた日本固有・延岡特有の伝統を頑なに伝えていかなければならないという使命感もあると思う。自分で立ち上げた会社ならば途中で倒れても仕方ないような気もするが、それ以上に、私はこの会社と伝統を引き継いだ責任と使命がある。地区の蔵、地域の蔵としての位置づけは、一企業の財産ではなく、地域の産業として育てなければならない。そうした「奥行き」をしっかりと後世に伝えていくことが「こだわり」だろう。
永野さん(ひでじビール)
自分は受け継いだ会社を活性化させるのが役割。前の創業者は「むかばき」が大好きだった。何が何でもこの地で地ビールを造りたいという男のロマンだったんだろう……。当時、自分は理解できなかったが、次第にその土地で働くうちに「むかばき」の自然の魅力に取り憑かれるようになり、気がつけば、あの山奥の環境だからこそこの仕事ができるという思いが生まれた。
現在は「この環境があるからひでじビールを造ることが可能なんだ。絶対にここでなければならない」という思いがビールに乗りうつっていると思う。それはスタッフ全員がそう思っている。
確かに本場であるヨーロッパの環境とは違い、日本は地ビール造りには適していないと言われるが、そうしたスタッフ達の土地への熱い思いが意識向上をはかり、美味しいビールを生み出す環境を育て、そこにストーリーが出来上がると考えている。
—–この文化を次世代へ繋いでいくことに関して、思うことはありますか。
水江さん(佐藤焼酎)
会社として成長させなければならないから事業家としての展開も必要。焼酎だけでなく日本酒もビールもそうだが、地球の奇跡とも言える「微生物」の活動がすごいエネルギーをもっている。その活動があるから自分たちの命が存在しているという不思議。
「好きこそものの上手なれ」という言葉があるけれども、その辺りを焼酎で演出してみたい。これからの21世紀は微生物をどう上手く活かしていくか、先人たちの知恵である『発酵』や『熟成』などの微生物を駆使した技術が中心となる時代になると考える。だからこそ、さまざまな事に挑戦する楽しみがあるし、そんなワクワク感を次世代と共有する時間がもてれば幸せだと思う。
永野さん(ひでじビール)
3年前に自分が社長として存続させていこうと決意してから、もちろん以前からもだけれども、ビールには特別な思い入れがある。それ以上に「人の思い」「人がつながる」 という「人と人との関わり」が仕事を通してとても大切に感じられる。
時に、会社が存続するかどうかの瀬戸際という瞬間もあった……。そんな時、社員たちが一致団結したところを目の当たりにしながら、また自分がその中にいながら、苦しかったが「ビール造りをあきらめる」という考えに至ることはできなかった……。「人と人とのつながり」がいかに大切かを深く感じさせられた。今はビールは人と人とをつなぐ手段と思える。社員も自分も、ビールを通して地域おこしや町づくりの活動をしながら、人として成長する土壌をつくっている。ビールがあるから人とのつながりが広がるという楽しみがある。
門田さん(千徳酒蔵)
自分は去年の11月に前社長と交代したばかり。現在は社長として、経営だけでなく、本来の「杜氏」として責任ある立場で、110年の歴史の重さや先代達の思いを受け継いでいる。自分の代で終わらせることはできない。日本酒しかつくらない専門蔵は、宮崎県内ではうちだけだから、なくすわけにはいかない。千徳酒造は延岡を中心にまだまだのびしろがあるし、現在の日本酒ブームの波に乗りながら、全国・海外にむけて発信できるチャンスも増えた。そのためには、ただひたすら「うまい!」といわれる酒を探求して造り続けなければならない。素材に対して正直にまじめに酒をつくらなければいけない。出来た酒が日本だけでなく、世界中の新たな人へと伝わっていく、そんな楽しみがある。
鼎談その2 テーマ:商品開発と取り組み(試飲)
(各社を代表する商品と新しい取り組みなどに力を入れている商品を、それぞれ一品づつ選出し、試飲をしながら特徴や感想などを語っていただきました)
今月の蔵出し(宮崎ひでじビール株式会社)
水江さん(佐藤焼酎)
ボルドーではなく、杏色って感じ。
永野さん(ひでじビール)
毎月、表のラベルは変えず、中身を変えている。7月(取材当時)は宮崎の農業法人が作った黒米 (古代米)を使用しているのでこのような発色になっている。ラガータイプでキリッとした喉越しを演出している。昨年、同じ原料で発酵温度が高いタイプを造ってみたが、主原料のモルト「ペールエール」の色がついていた。今回はラガータイプでつくり、古代米の色を直接的に出した。
門田さん(千徳酒蔵)
日本酒と同じ「米」を原料に使うところが面白い。古代米そのものの紫っぽい色が出ている。
水江さん(佐藤焼酎)
後味のほのかな甘さが女性的。
永野さん(ひでじビール)
大手メーカーのビールを飲み慣れている日本人は、ビールと聞けば「喉越しスッキリ」でゴクゴク飲み干すというイメージが強いのでは?しかし地ビールはゆっくり楽しみ味わう……。という過程が大切。
水江さん(佐藤焼酎)
おっしゃる通り!ナショナルブランドはガツンという印象だけで、あとに残らない淡白な印象。しかし、このビールは味について語り合える。余韻が楽しめる。ターゲットが広い。
永野さん(ひでじビール)
このビールは若干ぬるくてなっても、逆に香りが高くなり新たな楽しみ方ができる。ちなみに「ラガータイプ」は「喉越しスッキリ」で、キンキンに冷やして飲むタイプ。一方でエールタイプは麦とホップの味を楽しむビール。日本製のビールは全てにおいてキンキンに冷やしたピルスナーしかなく、多くの日本人が「これこそビールだ!」と思い込んでいるところがある。
しかし、ビールもそれぞれの国や気候によって形を変えている。温かい所は冷やして飲むラガーが好まれるし、年間を通して寒いヨーロッパでは常温で楽しむ、もしくは温めて飲む、そして長期熟成のトロッとしたものなどがある。本来は多種を味わうことがビールの楽しみ方。
水江さん(佐藤焼酎)
われわれに大切なことは、舌を肥やすこと。そのためには味を噛みしめることが必要。地ビールにはその一連の流れがあると感じる。
門田さん(千徳酒蔵)
創業当時のひでじビールを飲んだが、今はとてもいい意味で全く違う形に「進化」しているのが凄いと思う。最初に感じた雑味がなくなり、香り・味・のどごし・後味、すべてにおいてクリアに感じることが出来る。料理の邪魔をしない味。
永野さん(ひでじビール)
ひでじビールは、食中酒、食前酒、眠る前のリラックスタイム、デザートビールなど、TPOに合わせた飲み方が出来るビールを目指している。常時つくっているのは9種類、『今月の蔵出し』は1ヶ月ごとに新しいものをつくる。もっと効率よくしぼりこむほうが経済的なのでは?と言われるが、まだ若い会社としては新しいものに挑戦し提案する時期と考え、手間はかかるがこのスタイルを通している。
大吟醸(千徳酒造株式会社)
水江さん(佐藤焼酎)
香りが高い!
永野さん(ひでじビール)
吟醸香というもの?
門田さん(千徳酒蔵)
1000本しかできない限定品。杜氏としての気合をいれた一品。原料の米を60%削り、芯のところしかつかわない贅沢な酒。これでアルコール度数17〜18。
永野さん(ひでじビール)
実際に千徳酒造さんの蔵で大吟醸を仕込む所を見たことはないが、資料を拝見したり、他の仕込み風景を見ているだけでも相当厳しい世界。まさしく「男の仕事」だと思う。
門田さん(千徳酒蔵)
大吟醸はすべて手作業で仕込む。漉すときにも機械をつかわず昔ながらの製法で、袋にいれて自然に漉されてくるのを待つ。基本的に7名で仕込む。真冬に朝5時から仕込むことも多い。
水江さん(佐藤焼酎)
自分が焼酎の造り手だからこそ、日本酒のイメージというのはさらなる「厳しさ」を感じる。それがあるから風味に柔らかさが生まれる。まさしく「これが大吟醸だ」とほれぼれしてしまう。造り手としては、原料を多く削ってしまうという、材料やその生産者に対して責任がともなう。そこに清酒の真髄がある。自分はそんな思いで飲むとさらに感服してしまう。
門田さん(千徳酒蔵)
それは造り手としてうれしい言葉。救われるような気持ち。厳しい仕込みが続く中、作業をやればやるほどこちらの気持ちが荒々しくなるが、その荒く高ぶる気持ちで真剣に向き合うからこそ、この柔らかでほんのり甘い風味が表現できるのだと思う。
水江さん(佐藤焼酎)
消費者は、商品が出来て店頭にならんでからの姿しか見ることができない、だから、多くの場合、酒屋で目にする当たり前の光景と、口コミしか判断材料がない。もちろん時として試飲などはあるが……。しかし、その当たり前を生み出すのにも「職人達がそれぞれの環境で苦しみ抜いて生み出しているんだ」というストーリーをイメージしながら飲むと、味の奥に感慨深いものが現れる。 それが文化に触れるということ。
日本の伝統というものは、さまざまな「文化」がこれほどまでに重要視されてきたから、それらを後世に伝えていく「伝統」というものが生まれた。その文化の源にあるものは人が自然から学んだ「手仕事」。機械化されていく昨今で最も「手仕事」を重んじたのは清酒業界でなないだろうか。味覚や嗅覚といった五感、さらに六感まで研ぎすませながら手作業で仕込む。われわれの世界の中で清酒はとりわけ時間がかかる……。
永野さん(ひでじビール)
ビールは通年つくれる。しかし、焼酎も日本酒も「原料」の収穫に人間が合わせなければならない。原料に対して一度きりのチャンスに、魂を込めて造らなければならないところが難しくもある。
門田さん(千徳酒蔵)
色は黄金色をしてる。日本酒は透明だと思われているが、一般的なものは炭素をいれて色を抜いている。うちは旨みも香りも無くなるので使用しない。それが千徳の酒のスタイル。
銀の水(佐藤焼酎製造場株式会社)
水江さん(佐藤焼酎)
平成9年に造った焼酎で、自分が平成10年に会社法人として設立したときに、あらたな挑戦として取り組んだもの。
『銀の水』という名前の由来から説明すると、当社の蔵のすぐ目の前には祝子渓谷から流れる「祝子川」があり、毎日眺めていてもあきないほど美しい水が日々太陽に照らされて光り輝いている。キラキラ光る様子がまるで銀のようで……。そんな風景から商品名のインスピレーションがわいた。
九州は「芋焼酎」が晩酌や食中酒などの常用酒として地盤をなしている。しかし当社は「麦」に力を注いだ。世界の三大蒸留酒の原料は「麦」である。だからこそ自分たちは、世界の三大蒸留酒を目標にしようと思った。アジアでは「こうじ文化」がある、日本の文化がきっと第三の蒸留酒になるはず、これからの世界の酒は麦だと確信した。
酒造りに大事な水は、目の前に広がる祝子川水系の深層水で、硬度の高い水が多い宮崎県内では珍しく透明度の高い軟水。この祝子川渓谷の深い山、巨大な花崗岩(かこうがん)の間を縫って流れる祝子川の水は、壮大な自然を育む「いのちの水」として無くてはならない存在。調べてみると、この軟水である深層水は醸造に向いていることが解り、原料水として使うようになった。
お二人もそうだろうが、自分たちが目指すところは、水のごとくサラリと身体に入っていくような、それに近いものをイメージされているのではないか?
水が製造に大きな影響があるのは確かだが、理想の形を追求するには、水や原料の麦にこだわるだけではだめで、空気や環境も大切だと思っている。なぜなら、醸造に一番の働きをする微生物も息を吸っているからだ。さて、この水、原料、微生物、関わっているもの全てをどう絡ませて演出するか……。刈り込んだ原料となる麦だけではできない。仕上がった作品を演出して人々に伝えていく事こそがわれわれの役目だと考えている。
目の前の光る川・美しい水を味わいとして演出し、日本酒文化で育ち、その風味の記憶が染み込んだ東日本の人たちにも愛される大吟醸のように後味をすっきりと仕上げ、記憶に残らないけど食がすすむお酒として愛されるような焼酎、それがこの『銀の水』。
永野さん(ひでじビール)
焼酎はロックや水割りなどで飲むことが多く、「生(き)」で飲む機会がなかった。こうやってそのまま飲むと、素材の味をダイレクトに感じる。ひと口ひと口がしっかりと深い、しかもキリッとしていて後に残らない。
門田さん(千徳酒蔵)
自分も同じように造り手として、「うまい」と感じてもらえるように日々挑戦するだけだ。日々の仕事が常に厳しい挑戦だから。
水江さん(佐藤焼酎)
焼酎やビール、日本酒に慣れ親しんだ年配の方だけでなく、これからの時代を担う若い人にとっても親しまれるような味にしたい。また、自分たちが伝統を意識して造っているので、延岡の歴史や文化に思いを馳せて一緒に飲みほすような空間を演出できる焼酎でありたい。そして自分たちの焼酎は、心を和ませて天真(純粋さ・童心)を養ってもらうためのものであってほしい。お酒を通じて自分の正直さをさらけだし、嫌なことや辛いことを吐き出して心を健康にし、つぎに自分の成長を見つけることが出来るためのアイテムでなければならない。なにより、アルコールが入らない空間では思いもつかない斬新なアイディアがひらめく事もあるだろう。そんな空間を演出できるのがお酒の魅力。あるいは魔力かもしれない。酒類業は人々にとって日々の生活に必要不可欠。
永野さん(ひでじビール)
蒸留という行程がある世界は、千徳さんも感じているだろうが、人間業を超えた不思議な技術だ。自分たちには「醸造」という行程はあるが、一旦気体化するという技術は想像ができない。原料の旨みをそこでどのように演出するのか不思議でならない。
水江さん(佐藤焼酎)
こればかりは何度も何度も試行錯誤してたどりつくもの。でも結果的には自分の好みを押し付けがましく飲んでもらっているような気がする。自分は自分のために、自分の流儀は曲げずに造り続けている。これは造り手として重要なこと。
永野さん(ひでじビール)
そういえば、シンガポールの高級店に「銀の水」が置いてあり、すごくうれしくて写真を撮ったことがある(笑)
水江さん(佐藤焼酎)
日本独特の「発酵・こうじ文化」を様々な場面で伝えていきたい。
レッドアイ(宮崎ひでじビール株式会社)
水江さん(佐藤焼酎)
都農町のトマトを使ったビール・カクテル。瓶詰めされているのに、味はしっかりとしたレッドアイ。
永野さん(ひでじビール)
一般的に、レッドアイというカクテルは、ビールとトマトジュースをグラスの中で半々に混ぜて作るカクテル。それをどうしてもタンクで作りたかった。しかし、実際に造るとなるとかなり作業工程に手間暇がかかった。以前から手がけているキンカンや日向夏などのフレーバービールは、一時発酵の時点で果物の糖分をアルコールに変えることができたが、トマトを最初から混ぜて発酵させるとうまく熟成しない。結果として一次発酵はビールだけで熟成し、ビールそのものの味をしっかりと育て、二次発酵の熟成でトマトを混ぜてビアカクテルにした。
しかし、そこまできてさらに問題が発生した。ビールとトマトとの比重が違いすぎて、トマト成分がタンクの中で沈殿してしまう……。だから定期的に下から炭酸ガスを吹き込んで混ぜながら熟成させた。特にその作業が重要になるのは最後の瓶詰め。均等に中身をつめなければならないので、ビールとトマトがしっかりと混ざり合ったところてを瓶詰めする。店頭に並べられている間にビール瓶のなかでトマトが沈殿するので、開ける前に上下を「ゆっくり」返しながら混ぜあわせて飲んでもらう。 通常ビールは内容をかき混ぜて飲むことはないので、これもまた新しい飲み方の提案になると思う。
水江さん(佐藤焼酎)
ひでじビールさんの商品開発スタイルや取り組みは、総合的に考えると新しいジャンルを取り入れながら開拓し、新デザインを提供するファッション業界のようだ。躍動的でとても活発な雰囲気を感じる。若年層を視野に入れた取り組み?
永野さん(ひでじビール)
それも考えている。まずは、ビール業界でいえば、若い世代がビールを飲まなくなった。ほんの少し前までは、飲みの席になると「とりあえず生」という言葉に添ってビールを注文していたが、近年は20代の男性たちがビールを飲まず、サワー系を頼むようになっている。
しかし、そんな中で、徐々に「地ビール」がブームを迎えつつある。それを支えているのは女性。女性は、男性とは違う目線で新しいものや文化やグルメを自分の生活の楽しみとして上手に取り込む力がある。また女性たちは、オーソドックスなスタイルだけでなく、フレーバー系を好んで飲んでいるので、そのニーズに答えるかのように地ビールが充実し始め、今まで世界にもなかった『日本独特の地ビール文化』ができつつある。地ビール文化ができつつあるこの時こそ、食材の宝庫の宮崎で、特にすばらしい果物農業をわれわれが活かさなければいけないだろうと思う。
ひでじビールとしては、基盤である4アイテムは変わらず、フレーバーで地ビールの世界を広げていこうと考えている。もしかしたら、5年、10年先はフレーバービールが好まれなくなっているかもしれないし、違うスタイルのビールを造っているかもしれない……。しかし、フレーバービールには役割があって、炭酸がダメ、苦味がダメだという「ビール嫌い」の人でも飲めるような、消費者の間口を広げるきっかけの役目を担っている。そこからビールの楽しみ方を覚えてもらい、ビールの基本へ引っ張っていこうと考えてる。
水江さん(佐藤焼酎)
実に驚いた。「加える原料」としてトマトという選択肢があったのか?と……。気付かされた……。焼酎とは違うから、別の免許などがあるのかな?なんて考えたり……。これほどバリエーションをもった地ビール会社は他にないと思う。
門田さん(千徳酒蔵)
「原料はこうでなければならない」という固定観念と、「この原料は使いたいけど使いづらい」という葛藤を払拭してくれる。
水江さん(佐藤焼酎)
しかし、「バリエーション豊富な地ビール」とは響きはいいが、自分が経営者だから思うが、決して経済的ではないだろう。しかし、事業として新しいものを生みだそうという動きに驚かされる。宮崎県の都農町で採れたミニトマトをつかっているという所がいい。あまり世間でも知られていないローカルなポイントが、少なからず垣根を超えて違うジャンルに発信できる。農家にとってもうれしいメリットが多い。いいチャンスをつくっている。
永野さん(ひでじビール)
ひでじビールでは「宮崎農援プロジェクト」という活動をしている。それでいろいろな土地の地場産品をつかい、ひでじビールとコラボして商品を造る。そして、自分たちが培ったルートをつかって、一緒にその原料と地域を売り込む活動を行っている。これまでに開発した、日向のヘベス、日南の橙、黒米、赤米を原料にしたフレーバービールもその活動の一貫。「それらの原料を使ってひでじビールはこれを造ることに成功した」という自慢をするのではなく、その地域も一緒に売り込み、地域の活性化に繋げることこそが我々のやるべきこと、必要なことだと考える。
門田さん(千徳酒蔵)
すごく共感する。自分たちも一緒。原料を使って自慢をするのではなく、その農家・地域を活性化させたいと思う。同じように、生産者がすばらしい作物を育ててくれるからこそ、われわれが造ったお酒が理想の味になる。
永野さん(ひでじビール)
近江商人の『三方良し=売り手良し・世間良し・買い手良し』 という言葉がある。しかし、自分はさらに「四方良し」と考えている。そこに「生産者良し」が加わり、生産者もニコニコ笑える仕事づくりがテーマ。自分たちには、この宮崎の農業を応援する役割がある。その思いに社員が一丸となってプロジェクトに取り組んでいる。
水江さん(佐藤焼酎)
農業から消費者まで1つの流れとして取り組む活動は当社も一緒。本当に大切なことだと思う。このように自分たちの信念をつらぬいた活動を通して、自分たちが生きた時代にどう足跡を残せるか……。年齢は別にして『青春まっただ中』にいると思っている。本当にやりがいがあり楽しみが多い。
ちなみに、以前マレーシアでコロナというコルクで栓をされた小さな瓶ビールをシャンパンのようにコルクを飛ばして栓を抜く光景を目にしたことがある。泡の吹き出しが美しかったのを覚えているのだが、同じようにコルクで瓶詰めできないのだろうか?
永野さん(ひでじビール)
それは難しい……。充填機のラインがあるので、なかなかスタイルを変えづらい。手詰めという方法もあるが、それでは生産が追いつかない。でも、ゆくゆくはボトルの形を変えたり栓を変えてみたり、ボトルを使っていろいろ遊んでみたい。今はこの瓶しか使えないしこのキャップしか使えないという事がストレス。
純米酒千徳(千徳酒造株式会社)
永野さん(ひでじビール)
純米酒大好き。ほのかな黄金色が美しい。
門田さん(千徳酒蔵)
食事の邪魔をしないように、さり気ない味で食中酒にぴったりに仕上げた。
永野さん(ひでじビール)
お酒好きは純米酒にこだわるときく。都心部や北へ進むにつれて特に純米酒にこだわっているように感じる。
門田さん(千徳酒蔵)
千徳の原料には高千穂の「山田錦」をつかっている。米の甘みを大切にして米を削りすぎないようにしている。
水江さん(佐藤焼酎)
焼酎を造る場合は70%弱ほど残してみがく。いつも磨きながらもったいないと思ってしまう (笑)。高千穂のお米を使っているのはなぜ?
門田さん(千徳酒蔵)
先代の杜氏が兵庫から来た方で、兵庫時代にそこで使用していた酒造り用の米「山田錦」をもってきた。宮崎県内で、米の生産に適した寒暖の差がある地域を探し、高千穂を選んだのが始まり。最初は小林市などの米も使っていたそうだが、高千穂で育った山田錦が最適だった。現在、高千穂では山田錦の生産農家は34件。
永野さん(ひでじビール)
甘口と辛口のちがいは原料?
門田さん(千徳酒蔵)
甘さと辛さの違いは発酵時間によってその味を狙う。あまり辛くなると旨みが飛ぶので、自分は少し辛さを抑えた味に仕上げている。しかし、もちろんキリッとした辛口を好む方もいるので、こればかりは、先ほど水江さんがおっしゃっていた通り、自分流の味を飲んでもらっている。もちろん自分のこだわりの味というものがあるけれど、何年やってもやっぱり味には悩む。
日本酒といえば、東北で造られるさらっとしたドライな風味のイメージが強いので、そんな味にしてほしいとリクエストもある。しかし自分が考えるのは「延岡だからこの味になる」という事。東北でこの味は絶対に出せない。
永野さん(ひでじビール)
先ほども話題になったが、南の地方で造る大変さがある。宮崎は地熱が上がるから、他の地域より「冷やす」という作業が増えると聞いた。
門田さん(千徳酒蔵)
仕込み温度が6度~7度だが、外気温が高いから水と合わせて氷を使う。当社は三段仕込みだから、最後の方では水の代わりに氷で仕込むこともある。
水江さん(佐藤焼酎)
私の知人で日本酒を造っている人がいるのだが、温度が上がると、冷やす為に一角のでっかい氷を使うと言っていた。想像するだけで大変な作業。
永野さん(ひでじビール)
東北のような寒い地域では、そのような作業はしなくてもいいのに、宮崎だから手間が多くかかってしまう。逆に宮崎だから良かったということは?
門田さん(千徳酒蔵)
東北は東北で、気温がマイナスになりすぎて凍結し、水が出ないという悩みがあるだろう。まあそれはそれで対処法があるのだろうけれど。昔は宮崎県内でも冬には氷が張ることもあったし、それほど気温を問題視することはなかったのかもしれない。近年は温暖化の影響でどんどん仕込みが難しくなってきている。正直、日本酒を仕込むには、やはり寒いほうが適している。毎回最後まで温度が上がらないように、慎重に気を使っている。
桃の花嫁(佐藤焼酎製造場株式会社)
水江さん(佐藤焼酎)
桃の成分が沈殿しているので、上下にボトルを返しながらゆっくり混ぜて飲む。
これは北方町でつくられた桃で「はなよめ」という品種を原料に使用したリキュール。さきほど永野さんがおっしゃっていたように、自分たちも地域をお手伝いできればと考えて取り組んだ商品。これには、その原料があるからこそ、この商品を造ることが可能だったという感謝の意味を込めて、『実ってくれてありがとう』とフレーズをつけている。現実問題として、山間地の農業は経営が難しい。その問題解決に、延岡の造り酒屋としていくらかでも手伝えることを行うことが重要だと思う。ストレートに原料の名前をつけたのだが、山間部の少子高齢化にも響くように、花嫁さんいらっしゃいという思いもある(笑)。
実は、この裏側には「男ごころの感動」という秘めたテーマがある。自分たちの年代の方に、昔に経験した甘酸っぱい恋愛、淡い青春時代の思い出を思い起こしてもらい、その時代に思いを馳せながら「男ごころ」を呼び起こしてほしい。そんな思いもある。
門田さん(千徳酒蔵)
やはり酒は原材料あってのもの。全てを自分達が思いどおりにできるわけではない。だからこそ、農家との意識の共有は大切だし、お互いがもっと頑張れる環境に協力し合い成長させる必要がいる、そうでなければ何十年間も続けることは不可能。そこにはやはり情熱がなければ……。
水江さん(佐藤焼酎)
以前から情熱や淡い思い出を演出するようなパッション系のフルーツリキュールを作ってみようと思っていたが、たまたま出会った北方総合支所に勤務する女性の地域へ抱く熱い思いを聞いたことがきっかけだった。北方町では桃の生産が多くを占めていることもあり、特産の桃を活かした。
銘柄や商品で北方町を知るきっかけとなって、その生産者の思いを知ってもらう。さらに恋愛の花が開き男ごころを呼び起こすこともあってほしい。逆に、花婿さんをとらない女性も多いから、両親がだまって「桃の花嫁」を出すと、娘さんが「なるほど、両親にはそんな願いがあるのね」と理解してもらうためのアイテムになったりすると面白いと考えた。他にも栗や柿の生産も多いから、トンチの効いたネーミングで話題を提供しながら楽しく過ごせる時間を演出できる商品づくりをしたい。
私たちは山間地の景観を守るために、地元の造り酒屋としてしなければならないことがある。後継者不足解消だけではなく、地域とともに喜怒哀楽しながら、この自分の時代だけでも、精一杯活動したという形を残したい。 国内の人にもこの姿勢を見せながら、1つの商品には劇的なドラマがあることを知ってもらいたいし、その先には、国内だけでなく海外でもがんばってみたいというグローバルさをもってほしい。これからもリキュールに深みをつけていこうと考えている。
この取り組みが生産者に刺激を与えていると思う。生産者も、造り手も、年齢は重ねていても頭の中は若い時代のまま。現在の70代、80代の方もきっと同じで、身体は動かなくても頭が働くから、山間地を活性化させるという目標をもたせてあげることも自分たちの取り組みだと思う。山間地にもこの活動が浸透して奮い立ってくれると思う。そうすることで、われわれの事業を支えてくれると思う。
鼎談その3 テーマ:業界がかかえる問題点
—–現在、業界がかかえている問題点を教えて下さい。
水江さん(佐藤焼酎)
問題の共通点は「安定経営」ではないか?規制緩和されて業界が変わってきた。以前、小売酒販店の販売売上高は70%あったのに、3年前は30%、今は20%まで数字が下がっており、反面、スーパーやドラッグストアでの酒類販売が増えている。今まで培ってきた流通ルートが困難な状況。しかし一方では自分たちには文化伝統を守る責任がある。状況はどうであれ、突き進まなければならないという……。
文化・伝統を守るには、地産地消、地場産品を活性化させなければならない。今までは伝え方が上手ではなかったのかもしれない。それは企業の利益だけだけでなく「地域を演出する力」につながる。商品だけをPRするのではなく、一緒に「美しい故郷・美しい延岡=延岡特有の自然に囲まれた城下町の風情」を演出しなければならない。
ハード面・ソフト面を上手くPRしながら延岡がどのように注目をあびるか……。そこには、長年の延岡の歴史を支えた清酒文化、焼酎文化、近年のビール文化が大きな役割を担うと考える。上手にアピールするためには、商品だけでなく他の産業と手をくまなければならない。そのステージをどう造るか、演出するか、そして何より延岡市民がどう捉えているのか……。もっともっと地元市民に自分たちが支えてきた文化と伝統に興味をもってもらいたい。今の活動を続けることこそ、文化伝統が語り継がれることだと思う。
門田さん(千徳酒蔵)
現在も「酒屋さん」は存在するが、昔ながらの「小売店」が激減し流通の形はがらりと変わった。昔は千徳しか扱わない小売店があったほど……。現在は地元の酒屋さんや卸屋さんから仕入れるのではなくて、他ルートから持ってきているのが現状。
市内にある大手ショッピングセンターでの流通もルールがあり、目の前がその店舗なのにも関わらず、一度佐賀に商品を送ってから延岡に陳列される。余計な出費がかかる。
高速道路が全線開通すれば、交通の便が良くなるという「良い面」もあれば、逆にどんどん新しいもの、他の地域のものが入り、地域の市場が荒れて、厳しい状況を強いられるという不安もある。私たちの生きる道は、ただひたすらいいものをつくって発信するしかない。 永野さんのように、販売の第一線で自らさまざまな活動しなければならないと思う。
—–都心部も同じことは言えますが、特に地方ではいったんスーパーやコンビニなどに傾き出すと、流れが急すぎて、食い止める準備すらままならないのが現状です。
門田さん(千徳酒蔵)
おっしゃるとおり、本当にコンビニが多くなった。酒もコンビニで手に入るし、生活用品もかなり充実してるから消費者としては便利なのだろうが……。
—–コンビニができればできるほど、地元にお金が留まらないそうなんです。コンビニができて、便利になったと人は喜ぶかもしれませんが、地元の小売業は売上が減り、地元の銀行にもお金がとどまらない……。
永野さん(ひでじビール)
現在、地ビール業界というのは二極化が進んでいて、淘汰される時代が今なお続いている。今はもう、残るか残らないか明確にされてきている状態。以前は三百数十箇所もあった地ビール園も、 現在は二百軒余り、さらに5年後には百軒程度になるだろう。では生き残るためにはどうずればいいのか……。
みなさんもおっしゃっていたように、既存の流通経路がなくなってきている。だから、末端の消費者へのケアがどのようにできるのかが課題となるだろう。地元もそれ以外も含めて、これだけのネット社会になれば、広い視野をもって活動できる知識を持たざるを得なくなった。
—–消費者へ直接届けるほうに主眼をおくことはありますか?ビジネスとしてネットを活用するのか、昔ながらの卸業と連携して商品販売のルートを確立するのか?それぞれのバランスは?
水江さん(佐藤焼酎)
自分たちは、やはり昔ながらの卸という流通で商品が生きてくると思っている。それは「人」が関わるから。共感できる人と話すことで、自分たちが取り組んだ商品がいきてくる。それを思うと単に流通を考えるだけではだめで、人と関わりながら自分たちの思いを伝えていくことが重要。共感できる人がいるからこそ、ぼくらの存在価値が大きく高めてもらえる。そんな人たちから誇りに思ってもらえる仕事や活動が必要。
門田さん(千徳酒蔵)
本当にそうだと思う。さらに、一般の消費者の意見も大切。どれだけ良いものつくって自分が満足していても、決めるのは飲んでくれた一般の消費者。私達の仕事や取り組みは、商品を提供して飲んでもらわなければ判ってもらえない世界。いろんな場面で飲むシチュエーションを提供をすることが必要。そうしたことをしっかりと受け止めつつ、やはり自分を信じてスタイルを守らなければならない。スタイルがなくなれば千徳でなくてもいいということになってしまう……。そこが難しいところ……。
—–大手メーカーには成し得ない味や品質を保っていますよね。しかし飲んでもらいたいという思いはあってもセールスでは大手メーカーに勝てないのが現実です。そうした費用対効果等のジレンマは?
水江さん(佐藤焼酎)
確かにそれは現実としてあるものだから、当然われわれはそこから目をそらせることはできない。だからこそ地元へ伝えること、地元の人に誇らしく感じてもらい応援してもらうことが大切。その部分だけは、大手メーカーがどうやっても入りこめない感情の部分だから。
しかし、肝心の地元の人々がこちらが思うような動きを見せてくれない現状を考えると、はやり延岡の歴史、文化、伝統がしっかりと伝わっていないということになる。しかも、伝えきれていないのは自分たちの責任である。だから、これから認識してもらうこと、 記憶に刷り込ませることが重要になっていく。その部分をクリアすれば、延岡市の良さを伝えきれると思う。延岡市民は僕らの代弁者。さらに訪れた地で延岡の情緒豊かさを伝え、広まっていけば、われわれの業界だけでなく、もっと様々な人々や企業が興味をもち延岡に関係してくるはず。そういうチャンスをつくるのも、今後のわれわれの努力次第である。
鼎談その4 テーマ:今後の展望
—–国内で賞を獲得したり、専門分野でも高い評価を受けるだけでなく、中には世界の舞台でトップ評価を得た商品もあります。しかし、みなさんは先程から「まだまだ一般消費者にうまく伝わっていない」とおっしゃっています。
門田さん(千徳酒蔵)
自分のところだけで発信しても厳しいと感じている。せっかく市内に違う酒類の会社があるのだから、手を撮り合って一年に数回でも大試飲会のような企画をして、消費者と直接交流しながら伝える場がほしい。造り手の思いやこだわりを聞きながら飲むと、もっと愛着を持ってもらえるのでは?と思う。
永野さん(ひでじビール)
そこがちょっとした課題。待っていてもそんな機会は起きないので、我々から興さなければならない。消費者の中で待っている人もいると思う。そして我々の取り組みや関わっている地域のことを十分に知って頂いて、地域を自慢する流れにもっていけることが一番いいと思う。
これからは都心や世の中のありきたりな流行を意識するのではなく、地方都市同士で自分たちが磨き上げたものを競い合う時代。まずは延岡市民が地元を知り、好きになって自慢できるようないいスパイラルが増えていってほしい。そのためには待っていても何も変わらないから、こちらから何かを仕掛けなければならないと思う。
—–たとえば、山梨県の甲府市にはワイナリーが多く、広い範囲でワインの試飲等を積極的に行っています。また東北地方では同様に大規模な日本酒の試飲ができるような企画がたくさんあります。さらに観光地としてかなり人気も高いですし、実際に多くの人が訪れていますね。
水江さん(佐藤焼酎)
東北や山梨などの地域の人は、ご当地自慢を促進させる努力をしていると思う。そんな思いと同じように当社の造語で、『自創自園』というテーマを掲げてる。『人に、笑顔に、潤いに』というコンセプトで進めている当社の地域づくり活動である。これは延岡でうるおいの場をつくっていきたい、そのステージを『蔵』がつくっていきたいと思って掲げたテーマ。
テーマにそって、当社は農業産業後援構想を思い描いている。最初に述べたように、農業と蔵は、とても深い関わりがある。私達はその一企業の酒類産業だが、そこには大きなドラマが在る。自分たちの強みは『ドラマ=商品に対するストーリー』である。大手は安心・安全・低カロリーというテーマで商品開発・販売を進めているが、私達が取り組む『人の営み』は大手には負けない。延岡市民の日常という当たり前の暮らしの中に、自分たちの蔵が生かされ、社会につながり、様々なストーリーを生んで営みを循環させているからこそ、これからも発展できる。
そもそも「延岡」という語源はどこから生まれたか?それは、昔の土地を埋め立てていって、岡を延していったから「延岡」という。それになぞられるように成長発展させていけたらいい。何かのきっかけとなるステージの根本は伝統。伝統を受け継いだ私達はそれを担う責任がある。ただの一企業かもしれないが、それぞれ企業人が集まれば大きな力になる。農業産業後援構想のように、自給率を高めて後に続く子どもたちにそれらを認識してもらえるような活動をしなければならない。自然の原料を加工して世の中の癒しを提供できるきっかけづくりをしたい。全財産をはたいてもやり続けたい、そんな気持ちだ。
永野さん(ひでじビール)
実は数年前、この三社の「技術者」だけが集まったことがあり、その時に出たのが「技術交流を行い酒文化か向上させたい」という話で、そんな流れから『三蔵(みつくら)』という言葉ができた。以外にもその言葉に注目したのがメディアや公的機関で、間接的に支援された形になった。考えるに、これはとてもすごい事で、一企業が立ち上がるだけでは話題性はないのだが、三社が手を取り合うことで他のジャンルの人にも響くことになる。だからこそ、今後は、いろいろな人が応援しやすくなるような言葉や文をつくらなければならない。
観光としても「さかぐらツーリズム」という形で応援をしてもらえるようになってきた……。だからこそ、今、延岡の観光の軸となりえるコンテンツをわれわれがしっかりと揃え、多くの人々が応援してくれるようなシステムをつくっていくことが大事。「延岡の自慢は三蔵だよね!」となるように、三社が協力しあって、統一感のある表現をしていくことが大切。そうなると、自分たちも働き安いし、やりがいがある。そこには絶対的な責任がでてくる。人が応援したくなるような自分たちをつくる事が大切である。
—–実際に異なる業界がタッグを組んでブランド化されるケースも多くなってきましたよね。三社が協力し活動できたら、お酒だけでなく、そこから派生する様々なものが売れたり、農園が潤ったり……。地域的観点から見てもいいイメージしか思い浮かばないんですけれど……。
永野さん(ひでじビール)
これからの課題だと思うが、自分たちの役目というのは、「地域にとって」を定義として進め、自分たち『蔵』が延岡において必要とされる「存在意義」をしっかりと胸に秘めながら、もっといい商品を開発し、同時に伝える工夫や努力を提案しあわなければならないと思う。
水江さん(佐藤焼酎)
当社はこれまでも地域活動や地域貢献は必死にやってきた。これからは今まで培ってきたものをいかに磨き上げ、理解される形に仕上げることが大切になってくる。まずは市民が地元のものを消費してくれるように意識づけ、これまでの活動を基盤に環境や地域に対して新たな形をつくる。それをやりきれるのはこの三社だと思う。
—–それは、今日の鼎談をきっかけに、何らかのアクションを起こしていかれるということですか?
永野さん(ひでじビール)
三社の経営ビジネスが一緒くたにできる訳ではないが、三社が「延岡の水は全国一」という共通認識をもち、延岡でこだわりの酒をつくっているという事が、全国的に「延岡に三蔵あり」になるようにしていきたいという部分は、各社ともに「やらなければならないこと」として、すでに心にあるように思う。
例えば「この三社は○○の活動を応援します」と活動支援したり、「延岡の酒文化を楽しむ会」等を開いたり、三社が歩調を合わせられたら大きなものになると確信してる。
水江さん(佐藤焼酎)
15、6年前まで「地酒を楽しむ会」をしていた。今一度、地酒を非日常に演出するのではなく、生活の中に存在する意義というものを僕らがコンセプトを新しい形で構えて伝えていくということが必要だ。
単に消費者を増やそうとするのではなく、その奥には「地域の文化伝統がある」という事を伝えられるかが肝心。三社の活動を通して、この地域の文化伝統を記憶してもらえることがしたい。
永野さん(ひでじビール)
やりたいね。
水江さん(佐藤焼酎)
試飲会であれば、近いうちにできるだろうね。 この記事がきっかけで何かの行動ができると思う。できれば新しい地酒を楽しむ会でうんちくを伝えたいね。お酒を通して出来た場所には必ずひらめきがある。あったからこそ生まれたものがある。造り酒屋は「その場その場が楽しければいい」というものを提供するのではなく、何かを生み出すステージの裏方・脇役に徹して演出してあげることが重要。お酒を囲んで、みんなの心の中が豊かになり、生活がうるおってくれば、延岡がきっと注目があびると思う。
永野さん(ひでじビール)
延岡の人が地域のものを知る、体験する、食べる、 飲む。そのことで意識が変わる。そう!変えていかなければならない。そんな中でわれわれはリーダーシップをとっていかなければならないのかも知れない。
水江さん(佐藤焼酎)
いろいろ提案しながら進めたい。以前一生懸命やったが形が残っていないように感じる。
永野さん(ひでじビール)
自分も同じような活動しているが、若い時代と年齢を重ねてから行う地域づくりには、それぞれ役割が違っている。
水江さん(佐藤焼酎)
活動をどうデザインするか、どう形を残すか。当社は、海外にも目をむけて新しい蔵もつくった。
各自の自力が大きくなるほど、自分たちのシンボルができ、交流の場ができる。そして、そこで刺激をうけるような企画を立案できて実行できる。自らの起用がさまざまな形をつくる。地域のものを地域が消費する形をデザインしていく。自分達がつくり上げたものを、どのように評価し、どう進化させるのか?いいものを残せば、きっと後に続いた人がよりよく考えていくだろう。そうして『延岡新都』という形ができる。 私たちのように形を残していく側は、ちゃんと表現しなければいけないし、わかりやすくしなければならないと思う。
—–「わかりやすい」とはどのようなことですか。
門田さん(千徳酒蔵)
新商品のPRパターンは、卸屋さんが企画することが多い。 人を集めて出来たものを飲んでもらって説明するという、ある意味ビジネスライクな方法。一社ならそれでかまわないが、三社が集まってなにか事を起こすとなれば、各社はそれぞれ歴史が違うし販売ルートも違うから、逆にビジネス色を出さず、もっと違う角度からコンセプトづくりや企画をしていくと、より多くの人が気軽に足を運べるようになると思う。だから、タレントなどを起用し、イメージを押し付けるのではなく、できる限り共感してもらえるような活動を広めていく展開というのが理想。
永野さん(ひでじビール)
そういう手法であれば、その中で、われわれの商品だけでなく、地場産品等をあわせて紹介できるからら嬉しい。できたものをただ試飲するだけでなく、造り手が来て、原料をもってきて、説明をして、ちゃんと伝えることで初めて興味をもってもらえる……。試飲会、是非とも開催したい。
水江さん(佐藤焼酎)
もしそのような場ができれば、地域に思いをこめる心意気、『この三社あり!』ということも伝えたい。さらに、その意義をきちんとわかり易く伝えたい。
お酒というのは、百薬の長と言われ、安定して生活するための心の平穏さを保つものであり、喜怒哀楽の中で人間を成長させるもの、強くたくましく迸るエネルギーのようなものを育て上げるもの。お酒が生活になぜ必要かということもあわせて伝えたい。分かり易くスクリーンに描くことが必要かな。映画でも創りたいね。
—–今後なにかのアクションがあるという事ですね!楽しみにしています。今日はお忙しい中ありがとうございました。
▲鼎談終了後の風景
それではここからは、実際に三社の酒蔵を巡ってそれぞれの特色や醸造技術者のこだわりを伺いつつ、さらに女性利き酒師の武井千穂さんにご協力いただき、おすすめの商品と、女性ならではの飲み方の提案を頂きましたので、合わせてご紹介します☆
佐藤焼酎製造場株式会社レポート
住所:宮崎県延岡市祝子町2388番地1
電話:0982-33-2811
FAX:0982-33-2888
URL:http://www.sss-sato.jp/
佐藤焼酎製造場株式会社
明治38年 初代佐藤松太郎 酒造免許取得
昭和23年 代表銘柄「三代の松」の誕生
昭和50年 日向山栗を原料とした日本初の製法を確立
昭和51年 三代の松シリーズ「くり焼酎」を発売
昭和52年 減圧蒸留法を自社開発 平成元年 酒税改定により熟成用の樫樽を
導入。この樽を利用した米焼酎「蘭珠」を発売。 リキュール類の
製造免許取得、またたび酒を開発・販売。
平成9年 法人設立
平成13年 酒類鑑評会で麦・米・栗の3種類4品目が優等賞を受賞。
平成15年から毎年 熊本県酒類鑑評会において入賞
平成20年 現在の位置に新焼酎蔵を建設
平成20年 延岡市の都市景観賞優秀賞
お話し:代表取締役社長・技術責任者 水江順治さん
▲左:武井千穂さん(利き酒師) 中央:水江順治さん(佐藤焼酎製造場)
巨大な花崗岩が連なる祖母傾国定公園の祝子川渓谷から流れる祝子川沿いに位置し、まるでミュージアムのように洗練されたデザインの建物が印象的な佐藤焼酎製造場。
延岡の美しい自然、農産物、人とのつながり、歴史と文化が調和し、人が豊に関わりあいながら共に生きる『潤いの場』を形づくる『自創自園』というコンセプトを元に、創立106年を迎えた今もなお進化し、国内だけでなく世界に向けて事業展開しています。
「焼酎を造るために原料はもちろん大切ですが、造り手の環境が大切だと思っています。ガラス張りで外の光が差し込み、中庭の木々が見えるようなつくりで、仕込み部屋の壁には、青空の絵を描き、少しでも開放感を感じられ、造り手が心地よく作業してもらえるようにしています」
と水江さんが語るように、敷地内の木々や草花の手入れだけでなく、建物の中には、さまざまな芸術品・絵画が展示され、気持ちいい環境づくりのための細やかな気配りを至るところから感じます。
▲建物からは、祝子川と遠くに広がる行縢山の絶景が見られる
ちなみに、原料には、延岡市を中心に地域で採れた農産物、そして祝子川の深層水を使用しています。
佐藤焼酎製造場の長い歴史からは、「日本初のくり焼酎」の製造法を確立する他、いち早く減圧蒸留法を開発したり、樽で熟成させウイスキーのような風味に仕上げたりするなど、様々な挑戦を見て取ることができます。
また商品ラインナップからも、人が飲んで心が安らぎ、楽しい時間を過ごすという『おいしい一杯・幸せの一杯』を追求してきた不変の感性や強いエネルギーを感じます。
「熟成部屋の壁に描かれている、太い部分から細く消えていくような白い筋は、微生物が躍動的に働く活発な様子から、役目を終えて静かに落ち着いていく様子を表現しています。ここは焼酎蔵ですが、中で働く人にも見学に来てくれる人にも心地よさを与えてくれるような演出はとても大切だと考えています。また微生物にも、丁度良い湯加減のお風呂に入っているかのように、心地よい環境で働いてもらいたいので、”かめ”自体が呼吸できるように、”かめ”を埋めている砂や土も数種類を組み合わせ、バランスよく整えています。ちなみに、この”かめ”は大正時代に日本でつくられた貴重な焼き物です。陶器の力は焼酎をゆっくりと対流させ、一層熟成促してまろやかにコク深 く仕上げてくれます」
焼酎は、黒麹菌・黄麹菌・白麹菌 と材料をさまざまな形でバランスよく組み合わせ、最後に熟成期間を計算して理想とする風味を造ります。最後に行う、『蒸留』という一度気化して再度液体にもどす独特の技術が味の決め手になるとの事。また、下に沈んだものが混ざらないように、上澄みをすくったような透明なものだけを寝かせてうまみを引き出すそうですが、その色が透明ではなく爽やかなコバルトブルーをしているのに驚きました。
「私たち造り酒屋は、その土地の文化や歴史、人、農作物があるからこそ存在することができ、逆に地域にとっても必要な存在でなければなりませ ん。昔から、人々はお互いが必要とされる存在で、手をとり合いながら生きてきました。そんな『村社会』のような繋がりを現代でも保ち、地域を共に 発展させていくことが大切だと考えます。そしてこの場所がその交流する場となるように、創業100年を迎えた年に新しい蔵を建てました。そのように思いを少しずつ形にしながら『次の100年』のために加工技術を磨き、生産農家さんとは原料の土壌 づくりから関わりながら質を高めつづけ、そのつながりから生まれたものを海外にも広げていきたいと思っています。
女性利き酒師:武井千穂さんのおすすめ☆
(試飲レポート:武井千穂/利き酒師)
天の刻印
▲画像左:武井千穂さん
【商品説明】
ひたむきな生産農家の力でそだてられた、二条大麦が原料のむぎ焼酎。外気の影響が少ない地下室で貯蔵し、ゆったりと熟成。『天と人との関係が、旨い焼酎を飲みたい人とこのむぎ焼酎「天の刻印」との出会いのようである』という想いが込められている。
【おすすめポイント】
程よい熟成からくるきれいな麦の初々しさ・切れのよさを感じる口あたり。 シャープな麦の香りは料理の邪魔をせず、喉を洗浄するようにスーッと滑り下りていきます。まさに食中酒にピッタリで、脂っこい食事にも合いそう。後味もサラッとしているのですが、口にはしっかりとした旨みが残り、その後をひくまろやかさにつられ、つい『もう一杯』と手が出てしまいます。いつもそばにおいて、疲れたときの癒しになり心を満たしてくれるような心地よさのある焼酎ですよ!
吉宝 亮天
【商品説明】
上質の甘藷を原料に、祝子川水系の軟水で丁寧に仕込み、蒸留された芋焼酎。白麹で醸し、すっきりとした酒質ながら奥ゆかしい芋の味を引き出している。同じ吉宝亮天の銘柄で黒麹で醸した商品も人気が高い。
【おすすめポイント】
ふわっと華やかに甘い香りが漂うものの、強すぎず軽やかな風味はさすが芋焼酎です。 飲み口も尖った感じは無く、芋本来の甘みと旨みが調和していて、とてもやわらかい印象です。芋の味はしっかり感じられるのに、主張しすぎない……。こんなに上品な芋焼酎があるんです!『芋焼酎の独特の香りが苦手』という方にも是非体感していただきたいな。 1日の終わりに、お気に入りの器に注いで、この甘く妖艶な香りとふくよかな余韻に包まれたら……。まさに至福の時間ですね!
千徳酒造株式会社レポート
住所:宮崎県延岡市大瀬町2-1-8
電話:0982-32-2024
FAX:0982-32-2169
URL:http://www.sentoku.com
千徳酒造株式会社
明治36年 現在の土地に恒富酒造合資会社を創立
昭和2年 恒富酒造合資会社を解体して、新たに延岡酒造株式会社を設立
昭和19年 統制法により、延岡酒造を合わせた三酒造が合併し、
日向酒造株式会社を設立
昭和36年 日向酒造を千徳酒造と社名変更し、社屋を改築
昭和63年 仕込蔵改築
平成15年酒造年度 熊本国税局酒類鑑評会 優等賞
平成16年酒造年度 全国新酒鑑評会 金賞
平成17年 はなかぐら館 オープン
平成17年酒造年度 全国新酒鑑評会『大吟醸千徳』金賞受賞
平成19年 2007年春季全国酒類コンクール 第2位
平成20年酒造年度 熊本国税局酒類鑑評会 優等賞
平成21年酒造年度 全国新酒鑑評会 金賞受賞
平成22年酒造年度 全国新酒鑑評会 金賞受賞
平成23年酒造年度 熊本国税局酒類鑑評会 優等賞
平成24年酒造年度 全国新酒鑑評会 入賞
熊本国税局酒類鑑評会 優等賞代表
お話:千徳酒造株式会社 代表取締役社長・杜氏 門田賢士さん
大瀬川の近くに位置し、宮崎県内唯一の清酒蔵である千徳酒造。現在、焼酎や日本酒、ワイン、ビールなどを造る酒造会社は宮崎県で38社(宮崎県酒蔵組合登録)。そのなかで、清酒のみを造る酒蔵はこちらの千徳酒造1社のみです。
千徳酒造のこだわりは『昔ながらの手作業』を大切にすること。洗米から出荷まで、手作業でできる工程は手作業で行い、機械を使う工程では必ず自分の目で確かめ、細やかな状況を把握しているそうです。
▲千徳酒造近くを流れる大瀬川。秋には延岡の風物詩『鮎やな』がかかる。
「ほんのちょっとしたボタンの掛け違いのような原因が、完成したお酒の味を大幅に変えてしまいます。その些細な原因を見落とさないよう、指示するだけでなく、自分の目で必ず確認します。完成するまで気を抜くことはできません」と門田さん。
原料となるお米は、高千穂産の山田錦のほか、宮崎県内で「はなかぐら」という品種を開発中。原料のお米を指定農家に生産してもらい、精米から日本酒づくりの特徴である三段仕込みで造っています。
日本酒製造の行程は、それぞれ慎重に万端の体制で臨まなければ、理想の味を表現することができない、まさしく職人の技が問われる作業。例えば洗米では時間を測り、精米で型にバラつきがあれば味に影響がでるので、必ず「精米師」の手によって米が研がれ、研いだお米は「ふるい」にかけられて 大きさを統一されたり、気温が高い宮崎県での仕込みは温度の調節が難しく巨大な氷を使用したり、全行程でかなりの神経を使うとの事。特に、一番神経を集中させるのは「麹」づくりなのだそう。
▲今回特別に入室させて頂いた製麹室と酒母室。通常は滅菌のため、担当者以外の入室はできない。
「麹は日本酒づくりの大事な命です。ここで良い麹が育たなければ、アルコール度数が安定しないので、理想の風味がつくれません。しっかり元気な麹を育てるために、雑菌が入らないように注意し、温度を管理して麹を造ります。麹部屋は、昔は『女人禁制』とされるほど男の神聖な仕事場だったんです。麹は生き物なので、一番居心地がいいような温度・湿度管理を徹底しています。自分の子どもや恋人のように……。というか、まるでお姫様と接するように大切に大切に育てます」
▲平成17年に完成した千徳酒造の酒を直接購入できる販売店『はなかぐら館』
「今後は、千徳酒造の基本となる商品を守るほか、今までお酒に馴染みのなかった人にも慣れ親しんでもらえるような、アルコール度数低めの白ワイン風な清酒や、割って飲んだりカクテルに用いたりするような新しい飲み方の提案も進めていきたいと思っています。さらに、地酒をもっと地元の方に知っていただけるような『試飲会』などの機会を増やしたいと考えています。気候の高い宮崎県での清酒づくりは温暖化と共に難しくなっているのは確かです。しかし、これまで続けてきた伝統を守り、逆に日本最南端の清酒蔵だからこそ取り組める新しい清酒の形を展開していきたいと思います」
女性利き酒師:武井千穂さんのおすすめ☆
(試飲レポート:武井千穂/利き酒師)
純米本生原酒 千徳
【商品説明】
夏の限定商品で高千穂産「山田錦」100%使用。自社培養酵母で醸し、無ろ過で半年間の低温熟成。『純米本生原酒』だからアルコール分は17%と高めだが、氷などで『割って楽しめる』ことをコンセプトにしている。
【おすすめポイント】
日本酒お好きな方でも暑い時期にはちょっと……。と感じることありますよね。 ところがこれはあえて『割って飲もう!』と蔵が提案してくれている画期的な商品です。氷で満たしたロックグラスにトクトクと注げば、カランと涼しげに響く音。さすが米そのものの旨みがたっぷりな純米酒は、割ってもコクは失わずに爽やかなのど越しを保っています。ソーダで割って日本酒ハイボールにしても良いし、自由な発想でお気に入りの飲み方を探せます。もちろんガツンと強い口当たり、どっしりとした旨み、 普段から飲み慣れている方ならそのままでもアリですよ!
発泡清酒 はじまり
【商品説明】
宮崎県産酒造米「はなかぐら」を使用し、シャンパンの様に瓶内発酵で炭酸ガスを発生させた発泡清酒。アルコール分は9%と低め、可愛らしいピンクのラベルが目をひく。
【おすすめポイント】
何といっても日本酒ビギナーや女性にオススメ! 口に含んだ瞬間は「本当に日本酒?」と思ってしまうほどジューシーで甘酸っぱさが広がるのに、後味はサラッとベタつかない。今まで日本酒に苦手意識をお持ちの方も、驚かれるんじゃないかしら……?フルートグラスに注ぎ入れれば泡と共に華やかな香りが立ち昇り、 目にも美しく乾杯にもピッタリ。まさに「はじまり」を素敵に演出してくれる1本ですね♪
宮崎ひでじビール株式会社レポート
住所:宮崎県延岡市むかばき町747-58
電話:0982-39-0090
FAX:0982-38-0080
URL:http://www.hideji-beer.jp/
宮崎ひでじビール株式会社
平成8年 延岡市行縢町にひでじビール醸造所 設立
平成8年 延岡市中町にレストラン「リバーピア」オープン
平成9年 ボトリング設備を導入し、瓶での販売を開始
平成18年 ビール酵母純粋自家培養技術導入
平成19年 iTQi 国際食品審査会 優秀味覚賞受賞
平成21年 第一回宮崎県優良県産品推奨制度認定 平成21年 ジャパン・アジ
ア・ビアカップ2009
『太陽のラガー』ピルスナーボトル部門金賞
直営店2号店 「延岡 麦酒蔵Hideji和厨房」オープン
インターナショナル・ビアコンペティション2009
『太陽のラガー』ジャーマンピルスナー部門金賞
『もぐら(現 森閑のペールエール)』
アメリカンペールエール部門銅賞
平成22年 ジャパン・アジア・ビアカップ2010
『月のダークラガー』ダークラガーボトル部門銅賞
平成22年 宮崎ひでじビール株式会社設立 株式会社ニシダより
*ビール製造・販売部門*独立、稼動
平成24年 インターナショナルビアコンペティション2012
『穂蔵金生』金賞
お話し: 醸造責任者 片伯部智之さん
五ヶ瀬川水系の上流にある自然豊かな行縢山の麓に位置し、国内地ビール2大コンテストにおいてW金賞受賞、さらに世界のコンテストで金賞(世界一)を受賞した宮崎ひでじビール。
特徴として、工場が位置する自然豊かな行縢山の水を使用し、フレーバービールなどの原料は宮崎県産のものを使い、『この地域でしか表現できない地ビール』を常に意識しているのだそう。
▲宮崎ひでじビール工場付近からの行縢山の風景
平成8年の設立当初は市内外から原料や技術を取り寄せながら生産・醸造を進めていましたが、大手ビールメーカーの商品拡大やワインブーム・焼酎ブームがまきおこるなど、地ビール展開には難しいといえる状況に直面。しかし、醸造技術を一新し、ただひたすら『上質・安心・安全な商品開発』に取り組み、現在ではこのような世界一の賞を手にし、国内だけでなく世界から注目される存在となっています。
▲完全自家培養のビール酵母
「ビール造りに大切なものは、日本酒や焼酎と同じで『酵母』です。設立当初は秋田から上質な酵母を取り寄せていたのですが、上質といえど長時間・長距離を運ばれてくれば、酵母は生き物ですから人間と同じように疲れて元気がなくなってしまうという難点があったんです。だから酵母を混ぜても、発酵が始まるまで2,3日かかってしまったり、うまく発酵されていなかったり、思うように行程が進まず、風味も表現できませんでした。そこで、完全自家培養技術を取り入れ、酵母の純粋培養が可能になり、エリート級の元気でフレッシュな酵母を使うことができるようになりました。そこからひでじビールが躍進しましたね」と語る片伯部さん。
▲宮崎産の紫芋を原料に取りいれたビールのモルトジュース(ビールになる前)を試飲。ほのかに感じる紫芋の甘い風味と色合いが印象的です。
▲ビール醸造全ての行程のなかで、上質な原材料以上に一番大切なことは『洗浄』だそう。
「ビール造りの大敵は『雑菌』です。雑菌は酵母の働きを弱めるので、匂いも悪くキレもなくなります。ヨーロッパでビールが発展し、國酒として世界から認知されるようになったのは、寒くて雑菌の繁殖が少ないヨーロッパの気候がビールの醸造に適した環境だからという大きな要因があると思います。その反面、日本は湿気が多くて温暖な気候なので、雑菌が繁殖しやすく、ビール造りにはあまり適していないんですよ。空気中にも雑菌がいますから、ほんの少しタンクの蓋をあけるだけで雑菌が入り込み、ビールが劣化してしまいます。だから、おいしいビール造りは、目に見えない雑菌との戦いなんです。一度タンクを使った後は、パイプも全て分解して洗浄・消毒して滅菌し、衛生管理 を徹底的に行います」
「今後は、現在宮崎ひでじビールで取り組む『宮崎農園プロジェクト』の活動をふくめ、宮崎県内で採れた農産物を使用し、宮崎ひでじビールだからこそできるビール造りに挑戦し、他のビールメーカーとの差別化を図っていきたいですね。一方で、醸造技術者として、世界中をみながら『本物のビール』というものを追求していきたいです」
女性利き酒師:武井千穂さんのおすすめ☆
(試飲レポート:武井千穂/利き酒師)
花のホワイトヴァイス
【商品説明】
みやざきの可憐な花々をイメージして造られた フルーティなビール。原料に小麦を使用し名の通り白いベルジャンタイプだが、副原料にハーブやスパイスを用い、独特の香り高い製品となっている。ひでじビール定番商品のひとつ。
【おすすめポイント】
まず感じるのが、『これ、何かしら……?』と引き込まれる魅惑的な香り。 その名の通り、フローラルで華やか、でもそれだけではない……。 誘われれるように口をつければフルーティで小麦のビールならではのまろやかさ、柔らかな苦味が喉を滑りとても上品!余韻にはスパイシーな爽やかさが漂い、個人的にはちょっと官能的でイイオンナ~っていうイメージのビールです(笑)エスニック系の料理とあわせて、ワイングラスでおしゃれに飲めそう!
日向夏ラガー
【商品説明】
ひでじビール株式会社が取りむ、宮崎県の農産物生産者と共に地域活性化を目指す挑戦『農援プロジェクト商品』のひとつ。 宮崎県原産、生産量日本一を誇る日向夏の果汁を用いた、爽やかなフルーツビール。 特に若い女性からの支持は絶大で、2011年には ジャパンビアフェスティバルにて東京都知事賞を受賞している。
【おすすめポイント】
日向夏と言えば、宮崎県を代表する果物のひとつ。ビールとの相性ってどうなのかしら?と思ったら、なんとこれがバッチリ。フレッシュな香りに、バランスのとれた酸味と苦味、まるで白ワインのような味わいですが、喉越しは爽快!黄金色に輝くクリアな液体からは宮崎の明るい光が連想されて、私だったら、休日のブランチに海を眺めながらテラスでいただきたいな。食前酒やデザートビールとして応用範囲も広く、都会のビアパブで大人気というのも納得です!
取材・編集スタッフ
モデル・レポート:武井千穂、中本望美 / 編集:中本望美
撮影・制作:ヴォーク有限会社
鼎談会場協力:ホテルメリージュ延岡
住所:宮崎県延岡市紺屋町1丁目4-28
URL:http://www.merieges-n.co.jp