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2005年11月05日
宮崎の女子プロボクサー・上村里子 <1> [ 格闘技 ]
宮崎に女子プロボクサーがいると知れば、たいていの人が驚くと思う。しかも、世界に挑もうとしている選手だ。驚きはさらに増すだろう。
選手の名は「上村里子」。宮崎県出身、JR宮崎駅そばのメディカルフィットネス「フィオーレ」所属。宮崎で生まれ、宮崎で活動している選手だ。「女子プロボクサーが宮崎にいる」というだけで、格闘技好きの自分は凄く興味を掻きたてられた。
10月24日(月)、フィオーレで上村選手を取材した。21時からインストラクターでもある彼女のレッスン(ボクシング)を見た。10時から2時間、話をたっぷり聞いた。彼女はOLでもあり、早稲田大学の通信教育課程を受講する学生でもあった。時計が0時をまわってから、彼女はボクシングの練習を始めた。1人で4つのことを真摯にやっている、そういう社会人であり学生でありアスリートだった。中国で北朝鮮の選手と試合をしたこと、左のスネや眼の奥を骨折したことを微笑みながら話す女性だった。
このとき、11月12日に韓国で行われる予定だったIFBA世界ミニフライ級王座決定戦にのぞむ熱い気持ちを聞き、そして試合に向けてトレーニングする姿を見させてもらった。ところが、これが白紙になってしまった。プロモーターと機構に振りまわされるという酷い形で。ただ、世界王座への道が完全に断たれたわけではない。上村選手は別の韓国人選手との「査定試合」にのぞむ。ここで勝てば、王座挑戦への可能性をつかむことができる。
今回の特集では上村選手のレッスンや練習の様子、サポートする林トレーナーのことも紹介する。インタビューは2時間も聞いたので内容盛りだくさん。話を聞いていて、とても楽しかった。上村選手の魅力を感じてほしい。
宮崎の女子プロボクサー・上村里子 <1>
宮崎の女子プロボクサー・上村里子 <2>
宮崎の女子プロボクサー・上村里子 <3>
宮崎の女子プロボクサー・上村里子 <4>
世界戦中止の経緯
取材の中身に入る前に、まずは世界戦が中止になった経緯を日本女子ボクシング協会(JWBC)のリリースをもとに簡単に説明したい。
11月12日(土)、韓国で3つの女子プロボクシングの世界王座戦が行われる。そのなかの1つがIFBA世界ミニフライ級王座決定戦、上村里子(日本・フィオーレ) vs Cho Rong Son(韓国)だった。しかし、IFBAのサイトを見ると、Melissa Shaffer(アメリカ)が王座戦に契約するという記事が載っている。そして、世界戦中止というはっきりした情報が入ってきた。
中止の一番の原因は、大会のプロモーター(韓国のヒュンパン・プロモーション)がIFBAの承認を得ずに「王座決定戦」と言っていたこと。IFBAとしては認めるわけにはいかない。そして、IFBAは上村選手が負け越しているのを理由に(3勝4敗)「1試合査定試合を行い、その試合の結果をもって、王座挑戦資格を与えたい」と言ってきた。これはプロモーターの非常識とIFBAの不手際としか言いようがない。日本サイドは猛烈に抗議したが、IFBAが認めないというのならしょうがなく、王座挑戦をMelissa Shaffer(アメリカ)に譲ることになった。
そして、上村選手はYoon Ju Shin(韓国)と8分2ラウンドの査定試合を戦うことになった。ここを勝てば王座挑戦権を得ることになる。Cho Rong Sonが勝った場合は、次期タイトルコンテンダーにするという確約も得ている(これも怪しい気が…)。
12日の試合に向けて上村選手から改めて話が聞ければここで紹介したい。
それでは、取材レポートスタート!
メディカルフィットネス「フィオーレ」
10月24日(月)の夜。約束の時間(21時)より早めに、メディカルフィットネス「フィオーレ」を訪れた。フィオーレはJR宮崎駅そばにある。ガラス張りで目立つ建物なので、知ってる人は多いと思う。
中に入って最初にビックリしたのが人の多さ。まさに老若男女、幅広い層の多くの人がトレーニングに励んでいる。しかも、平日の夜に。休日になるともっと多いらしい。
次に施設の充実ぶり。3Fがメインフロアになっていてプール、サウナ、ジム、スタジオ、浴室などがある。ウォーキングマシンといった機材も大量にある。(お金さえ払えば)これが自由に使えるのだからうらやましい。
レッスンも太極拳やヨガなどいろいろある。自分が着いたときはスタジオでエアロビダンス(?)をやっていた。ボクシングレッスンもあって、上村選手とトレーナーの林さんが担当している。
ボクシングレッスン
ボクシングレッスンは21:10~22:00の50分。場所はスタジオ。参加するのは男女11名。上村さんがバタバタと急ぎ登場して始まった。
まずは柔軟運動。トレーニングの必須事項だ。BGMはサバイバーの「EYE OF THE TIGER」……燃えちゃうよ、これ(苦笑) 『ロッキー4』のサントラを流してたと思う(自分持ってるから)。柔軟の次はロープワーク3分2ラウンド。この縄跳びは意外とカロリーを消費するし、運動慣れしてないと疲れてしまう。しかも上村さんが跳び方を指示してくるので、自分の思うがままにというわけにはいかない。
一通り身体を温めたら、次はシャドーを2ラウンド。鏡張りの壁に向かって、自分でチェックしながらボクシングの動きをやる。自分なりのテーマを持ってやるとよかったりする。自分は女性の動きを特に見てみた。キャリアが浅いからしょうがないけど、脇が甘いし腕だけでパンチしている感じだ。これに上村さんが声をかけてじっくり指導する。参加している人、1人1人に。ここでトレーナーの林さんも登場。軽く挨拶をかわした。
次は14オンスのグローブを付けてライトスパー。11名と奇数なので、上村さんもヘッドギアを付けて加わった。そして開始。軽めの実戦っぽい練習だ。ダメージになる攻撃は当てない、もしくは寸止め。動きを確認する程度。スパーリング形式の練習はむずかしい。ミット打ちなどでやってることが初心者は思う通りに出せない。攻めるだけでなく防御も両方あるし、意志のあるものを相手にするから。上村さんは男性とやっている。当たり前だけど、一般の女性とはやはり動きが違う。構えはサウスポー。
相手を替えて繰り返し、レッスンは終了した。ボクシングといっても厳しいものでなく、女性もみな楽しみながらやっていた。これが大事だと思う。
これだけ見るとバリエーションが少ないように見えるけど、週ごとに内容が変わるようだ。時間が50分と短いので、こうするのが一番いいのだろう。
ところで、自分は格闘技の経験がちょっとだけある。武蔵小山にある某道場の会員で、ムエタイをやっていた。ちょっとだけね(苦笑) 目の前のレッスンを見ながら、道場で練習していたときのことを思い出して身体がウズウズしてしまった。ライトスパーのときに、林さんに冗談で「どうですか?」と声をかけられて、自分はやる気になってしまった。やらなかったけど。
トレーナーの林真一さん
レッスンの合間に林さんと立ち話をさせてもらった。
林さんはもともとボクシングをやっていた。今やっているのがトライアスロン! 鉄人クラスのレースでも完走してるというから驚きだ。ボディは上半身、特に胸の筋肉が発達している。トライアスロンもまた取材させてもらおうと思っている。自分がやるのはダメ。
ボクシングレッスンについては、楽しんでやってほしいと。真剣にやろうとしてる人にはムリだと。なぜか? 上村さんのトレーニングで精一杯だから。他の選手は見れない、と。林さんは自分の仕事も持っているから。
試合は宮崎の外。国内ならすべて東京。この費用はなんと自腹! でも、海外だとお金が出る。だから「国内よりも海外で試合をやるほうがいいんです」と。
それにしても、林さんも上村さんも腰がとても低い。丁寧に接してくれる。
格闘技との出会い=カルチャーショック
22時にレッスンが終わり、上村さんは0時からボクシングの練習を行うとのこと。「0時をまわっての練習かよ!」と心の中で驚いてしまった。それまでの時間、上村さんにインタビューを行うことになった。
しばらくして、トレーナーを着た上村さんが現れた。改めて挨拶をかわす。そして話は始まった――。
上村里子さんは三股町出身、1975年4月16日生まれの30歳。現在は宮崎市に住んでいる独身女性だ。高校は宮崎工業。部活は陸上をやっていた。
高校を卒業後は東京に就職。そこで格闘技と出会うことになった。
――格闘技を始めたキッカケというのは?
東京に出て、建築会社に勤めていたんです。現場配属でした。ある日、通勤してたら(帰り)駅を間違って降りたんです。日野市の百草園(もぐさえん、京王線)という駅に。そこに「キックボクシング練習生募集」というのがあって。高校まで陸上をやってて他の競技に目が行かなかったんで、「なんだろう?」って。12年前、仕事帰りのことです。駅そばのジムに行ってみて見学したら、もうカルチャーショックで! 即入会しました。サンドバッグを見たことすらなかったですから。新鮮でした。
帰郷して女子プロボクサーに
――キックボクシングを昔の宮崎で知るのは大変だったかも。小さいときに夕方の4時に1回だけテレビであったのを憶えてます。それぐらいですもんね。
キックをやってたのは4年。すぐプロになりました。女子のキックは競技人口が少なかったから。ただ、キックは怪我をすると激しくて。怪我をすることが多かったし。1年を棒に振っちゃうんですよ。左の脛(スネ)を折って、これはもうムリだな……と。
両親に4年間で宮崎に帰ると約束してたので、22になって宮崎に帰りました。更生してふつうの仕事に就こうと(笑) ふつうに会社員をやってました。でも、仕事オンリーになると寂しくて。物足りなさを感じてました。
4年ぐらい前に、林マネージャーとラグゼ一ツ葉(フィットネス一ツ葉)にたまたまビジターで行ったときに会って、ボクシングレッスンを受けました。「あぁ、宮崎であるんだ~」と。林さんにミットを受けてもらって。ミット受けの相性が良かったですね。
3ヶ月ぐらいして、フィオーレがたち上がるので林さんが辞めて7、8ヶ月ブランクが空きました。ラグゼでしっくりこなくて、一会員としてフィオーレに入りました。
入ったときのフィオーレは会員が凄く多くて。40名でインストラクターが2人とか。ボクササイズがヒットして。手伝いを3ヶ月、ボランティアでやりました。人に教えるとなると資格が必要かな、と。怪我をさせてはいけないし。何をすべきか? 「女性もプロライセンスがあるよ」と。林さんに相談して取りました。
――キックの戦績は?
キックは6戦して4勝2敗です。日本女子ボクシング協会に行ったとき(8月)、「試合をするだろう」と思われたんでしょうね。3日後に連絡が来たんですけど、そこで「試合いつ?」と(苦笑) いきなりオファーです。「次の月どう?」って。深く考えてなかったです。
ちょっと練習して、11月にデビュー(2003年11月30日ミニフライ級4回戦、vs池山直)。負けました(判定)。甘く考えてましたね。実戦をやってなかったし。キックとボクシングは違う。
――ああ、違いますよね(構えからして違う)。
比較対照外です。練習パートナーもいなかったし。これはいけない!…と思って。
2戦目のオファーがあって、そこでも負けたんです(2004年2月22日ミニフライ級4回戦、vs菊地奈々子、判定負け)。2敗ですよ。2敗というのは致命傷、かませ犬レベル。
――戦績は?
3勝4敗。負け越してます。自分で言うのもアレだけど、ほとんど接戦です。
<つづく>
投稿者 pawaspo : 2005年11月05日 02:33