2009年06月11日

日向時間舎/藤木哲朗 コンタクト 

日向時間舎 
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藤木哲朗 プロフィール

昭和51年2月29日生まれ、高千穂町生まれ。木の花幼稚園、高千穂小学校、高千穂中学校、高千穂高校卒業。1996年3月大阪ビジュアルアーツ専門学校写真学科卒業。2006年4月フォトメッセージマガジン『日向時間』を創刊。現在、高千穂の農村風景を伝える写真家となる。


低学年の頃は、授業中に魚の目(うおのめ)を名札の安全ピンでとったり、キョロキョロとよそみばかりする気弱で落ち着きのない子。小三ぐらいから、笑いの神が降りてきて、五年生の頃には、クラスの人気者となる。六年生の頃には女子からもたいへん好かれていた( 人生のピークを迎える )。

中学はバスケ部。試験が増えたり、授業がたいくつだったりで、ぼちぼちの中学生となる。高校は、サッカー部。練習がハードで、やせ衰える。腹が減ったらすぐ眠くなって倒れる病となり、精密検査を二回受けさせられるも、異常なし。ただの、空腹。

この頃は、世の中にも、自分にもたいして希望をもっておらず、「山の中で静かに暮らしたい」というのが口癖となる。ノートの隅には、南の島の落書きをよくする。幼少の頃よりずっと、高千穂の山の向こうの世界を夢想するロマンチスト。

1994年4月、大阪ビジュアルアーツ専門学校写真学科に進学。進学した理由は、就職希望の僕と、大学進学を求める母との間でケンカとなり、こたつを挟んで至近距離から鉛筆を投げつけられ、目の下に刺さってびびったので、あいだをとって専門学校を選択。写真を選んだ理由は、毎朝、米粒を食べにくる雀がいて、それが可愛くて写真に撮りたいな〜と思っていたのと、カレンダーにある海外の美しい風景をみて、行ってみたいな〜と思ったのが理由。

大阪では、姉と同居をしたのが大失敗。よくケンカをした。クーラーをとりあげられ、夏は暑く、冬は寒い暮らしをしいられる。学校までが一時間以上かかるのと、早起きが苦手なため、遅刻と欠席が増える。行っても学ばない駄目な生徒だった。二年生の頃、読書にはまり、司馬遼太郎や池波正太郎の歴史小説を読む。イラストレーター、横尾忠則の旅行記『インドへ』 (文集文庫)を読み、気分が高揚し、夏休みに思わずスリランカを一ヶ月ほど旅する。エチゾチックでスパイシーな毎日。ベルギー人のきれいなお姉さんともお友だちとなり、超ハッピー。

専門学校を卒業後、1996年4月北海道で一年間リゾートバイトをし、その後、パラグライダーのインストラクターを目指し群馬県に行くが、あまりにも田舎で先生もケチだったので、若い時間をここで過ごしてはいけないと思い、甲子園球児のような爽やかな挨拶を残し、一週間で辞める。

横浜の友人の家に居候しバイトするも、彼女にも振られ、面白いこともなく、未来の展望も開けていなかったので、北海道で貯めたお金もあることだし、1997年10月、ニュージーランドにワーキングホリデー制度(一年間、ビザがおりる制度)を使って行くことにする。

ニュージーランドでは、自然の雄大さに圧倒され、人間が特別な存在じゃないということをはっきりと気づかれる。そして、その自然の中で原始的に暮らす人たちの姿、そこにある幸せがなんなのかということを知りたくて、導かれるようにバヌアツ共和国タナ島へ。

タナ島では、二ヶ月間、バックパックを背負って歩いた。疲れたら、近くの村で休ませてもらう。長いところで三週間滞在し、村人と寝起きをともにする。この旅で、人間の根本的な幸せを知る。

その後、福岡で一年間ひとり暮らしした後、2000年3月、故郷の高千穂へ。高千穂では家業の小僧寿しで働きつつ、年に一ヶ月ほど海外を旅する。バングラデシュ、韓国、ベルギー、ツバル。五年ほど働いたけれども、これは一生やっていく仕事ではないと判断し、惜しまれつつ引退。

2006年、日向時間舎を設立。同四月、風土に育まれ生きる、郷土に流れる時間の中で、本当に大切なものをみつめようと、フォトメッセージマガジン『日向時間』を創刊。宮崎の文化の礎の一つとなる雑誌をつくるために、県内の写真家、学者、市民活動家に協力してもらう。未経験のことだったが、借金してでも一年間で四号はだす覚悟を決め、実際に四号出し、借金をする。その後遺症をひきずりつつも、出会った方々の力をかり、各地で日向時間スライドショーや、写真の仕事をする。

現在、農村の暮らしを学びつつ、それを伝える写真家となる。日向時間舎、宮崎情報発信パワナビなどの活動をする。高千穂こびるカフェ・千人の蔵で、常設の写真展もしている。食糧の自給もしたいと思っている。

自分で言うのもなんだが、まだまだ波乱含みの人生で、目が離せない。風雲急を感じたときに、よろよろと調子に乗って、風に運ばれていく傾向あり。日頃の地道な努力が望まれる。温かく見守って、楽しむのが調度いい。微妙な一発屋から、いぶし銀のスナイパーへ、大人の階段をのぼっていますので、宜しくお願いします。


投稿者 hujiki : 10:35 | コメント (12)


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