« 結城登美雄先生&千人の蔵 【高千穂町】 | メイン | 消防団、地蔵さん参りダイジェスト 【高千穂町】 »

2009年02月16日

結城登美雄先生の話の続き 【高千穂町】

090216-1.jpg


(食育推進協議会・社団法人農山漁村文化協会共催の『地域に根ざした食育コンクール2008』において賞された、NPO法人 天岩戸自然学校、代表の工藤鉄平君と代読された結城登美雄先生。)

昨日のブログで書ききれなかった結城先生の話。
『村入り』の話です。昔は、町の人が村に入る時に酒を包んでお伺いをたてるような『村入り』という風習があったそうです。なぜ、この話が出たかと言うと、国が進めるグリーンツーリズムに対しての憤りがあるからです。山が美しいのは、山を守ってきた村人がいるからで、田園風景が美しいのは、その田畑を守ってきた村人がいるからです。「その苦労を分からずして、何が山が美しいだ、偉そうに!」というのが、結城先生の考えです。昨日の、米の話と同様、村人の苦労をわかっていない政治家・官僚の馬鹿野郎に怒っているわけです。森に癒される前に、村人を癒せ、ということでしょうか、そこで、昔の日本には『村入り』というのがあって…、という話に続いたのでした。
いや、これはグリーンツーリズムに限った話ではありません。観光そのものがそうなのです。よく観光客が観光地にゴミを捨てていくことが問題になります。沖縄県の西表島にいったときに、ゴミの90パーセント以上が、観光客が捨てていったものだと聞きました。高千穂でも相当なものだと思います。
僕が『日向時間』を発刊していた頃、毎号30冊ずつ買ってくれていた方がいました。その方が言うには、毎月、高千穂神社にお参りするし、困ったことがあったら必ず高千穂の神様にお願いするので、お礼に地元のものを買わせていただいていると、あたり前のように仰っていました。『村入り』の考えと通じるものがあると思います。かっこいいので、僕も見習って少しだけだけど買うようにしています。
話がそれましたが、国の提案するものに『村入り』のような意識がないのは、政治家や官僚にその意識が欠如しているからで、その結果、民にもその意識が薄れ、日本という国が本当に精神的にとても貧しい国になっていることに結城先生は怒っているんだとお見受けしました。イギリスの農業に対する意識が変わったのには、多分に政府の意識改革があったのです。
む、む、む、じゃあ、僕はそれも伝えないと!まだ、色々と教えてもらったのですが、特に印象的だった話を書きました。

全然関係ないけど、お金の話を書きます。世界を我が物顔のように動かしている支配者は確実にいて、その下では、アメリカも日本も関係なく支配されいるわけで、もちろん、僕らも支配されています。と、書くと人格を疑われそうですが、それは簡単な話、お金に苦しめられている以上、そうなのです。近代に入り、世界の国々がドルに支配されてきました。その仕組みを作っている方が強いのはあたり前で、それを使わせられている方がこき使われるのは、あたり前のことです。権力が強いものは、何でも手中に収めていきますから、金でも武器でも何でも思いのままだし、権力者同士で結託していくので庶民はその事実すら知らずにこき使われるわけです。日本でいくら働いても、暮らしは厳しくなるいっぽう。子どもの頃から、変な世の中だな〜と、思っていましたが、大人になって思います、その直感は正しいぞ!と。
銀行や郵便局に貯金しても、アメリカの戦費に使われるだけなので、坂本龍一さんやMr.Childrenの桜井和寿さんは、市民バンクを作って、お金の流れを変えようとしたりしているわけです。地域通貨にもそういう意義があります。宮崎、いや、高千穂でもいいのですが、エネルギーの自給、食糧の自給、地域の銀行、地域の通貨を作れば、それはそれは面白いことになると思います。でも、これってよくよく考えると、昔の村の姿に限りなく近いのだと思います。少なくとも、高千穂には食糧があります。田畑を耕し作物を作ってきたのは農民なので、やっぱり農民が一番偉いのです。でも、食糧危機になれば、成金がわんさか押し寄せ、農村の秩序は乱されるでしょう。む、む、む…。

投稿者 hujiki : 2009年02月16日 21:37

コメント

テツローさん、ごぶさたです。
最近のブログをいま固め読みしたとこです。

なんかいよいよエンジンかかったきたな(失礼)って感じがするんですが…多分気のせいでしょうね(笑)。

日本は精神の貧しい国にむかって一直線。僕も同感です。
じゃあどうしようか?
政治家になって国を変えようか?
きっと100年はかかるんでしょうね。

高千穂の山奥でひっそりと生活しながら悟りを開きましょうか?
なんかわびしい気がする。

昔の佐賀県に存在した葉隠(はがくれ)剣士の教えに、立派に死ぬために生きる、という表現があります。つまり、昔のお侍さんは死ぬために生きていた?!ということになります。陰ひなたなく徳を積みぜいたくはせず(武士は喰わねど高楊枝)、人にやさしく。

農村・農民の問題にふれたとき、いまの農家の方々の清く貧しい生活と昔のお侍さんの生きる姿がどうしても重なってしまいます。

農業ができない僕達はせめて自然に感謝する気持ちを忘れず素直な心で、人にやさしくまじめに暮らしていきたいですね。
そういう人が増えれば、いつか高千穂もそういう町になるような気がします。
日本は…やっぱり100年くらいかかりそうですけど(笑)。

すいません長くなりすぎてコメントじゃなく日記みたいになっちゃいました(笑)。

投稿者 しもけん : 2009年02月20日 00:10

しもけんさん、ありがとうございます!
脳みそが活性化しすぎて大変!エンジンかかってきました♪
世界の財閥、大富豪になって世界をしきる影響力を持つには500年ぐらいかかりそうなのでこれは諦めて、やっぱり小さくても偉大な暮らしの仕組みをつくることはが大切だと思います。強いものほど葉隠武士の心意気を見習ってほしいものです。しもけんさんのやさしい気持ちがやっぱり基本ですね。

投稿者 テツロー : 2009年02月21日 01:14

テツローさん、先日はありがとうございました!
最後まで結城先生の話をお聞きしたかった…。
あの訥々とした語り口から滲み出てくるのは、
農民に対する優しさそのものですね。
心を動かされっぱなしでした。

そして内側に秘められた「怒り」。
エコとかスローライフ、ロハスという言葉だけで
簡単に捉えられないのが、
中山間地域の現実なんですよね。

また結城先生が来る時は、教えてください!

投稿者 サッケンロー : 2009年02月21日 09:43

サッケンローさん、はい、今度くるときは連絡すますね!
そう、エコとかロハスはブーム的なものが多分にあるけど、日々の暮らしはブームじゃないからね。僕も、なんかせにゃならんな〜と思いました。

投稿者 テツロー : 2009年02月25日 10:40