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2008年06月10日
エッセイ書いています。追加 【朝日新聞】
朝日新聞でエッセイをかかせてもらい始めて、はや半年が過ぎました。エッセイなど書いたこともあまり読んだこともなかったので大変苦労しています。でも、とても勉強になります。エピソードの羅列ではいけない。新聞なので今の時代も取り入れなければならない。自分の言葉ではない大それたことは書けない。身の丈にあったことなんだけど読者が興味を持つ話でなければいけない。自分の視点で書かなければならない。などなど…。
書いていて思うのは、『自分の視点』ってなんじゃい!ってことです。正論は言えてもそれってみんなが言っていること。あらためて僕が書くことでもないんです。でも、それを抜いてしまうと何も書くことがなくなっちゃう。エッセイストだったら読ませる文章のテクニックがあるだろうし、専門的な分野を持っている人だったらそれを通してかけるだろうけど、まだ形を持っていない僕は一苦労。人生勉強もまだまだ足りないな〜と思います。
そんな僕が書いたエッセイですが、お時間があるときにでも読んでください。テツロー君頑張ってるな〜と思っていただけたら幸いです。
『100%の幸せ』 幸せについての話
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120806070001
22歳の頃、幸せ探しの旅にでた。たどり着いたのは南太平洋の島国、バヌアツ共和国タンナ島。電気もガスも水道もない暮らしを2カ月間経験した。
村人は草と木でできた家で暮らす。タロイモやココナツ、フルーツ。魚や貝もとれるから、食うに困ることはない。
この島について3日ほどで、幸せ探しの旅はもう続けなくてもいいと思った。
海や夕日の美しさ。その中で暮らす穏やかな村人。島には確かな幸せがあると感じた。
どうしてこんなに優しい目をしているのだろう。村人の写真を撮っていていつも思った。何の疑いもなく真っすぐに見つめてくる。心の不純物が取り除かれるような気がしたものだ。
ある日、一緒に遊んでいた少年が家の隣に並ぶ小さな墓を指さして、こどもたちのお墓だよと教えてくれた。医療施設は貧弱だから、こどもの死亡率も高いのだろう。なのに、少年の表情には陰りもみえない。
死は悲しいけれど、それもまた自然なこと。少年の笑顔は、そう告げているようだった。
ある集まりで、植物の根からつくる飲み物を飲んで酩酊気味になった男性が言った。
「この島ではお金が要らない。ヨーロッパ人はこの島のことを天国だというよ」
別の男性が質問する。
「日本やアメリカにはたくさんの浮浪者がいるんだろ。月に行くお金があるのに、どうして助けてやらないんだ?」
村のなかの問題は、長老の意見を聞きながら話し合いで解決する。困っている人を助けようとしない先進国のことが不思議なのだろう。
私はあれこれ理由を考えるが、どれも言い訳のようになってしまう。自分にはどうすることもできないこと。でも、確かに悲しいことだ。
この島では、日曜日になるとみんなで賛美歌を歌う。決してうまくはないが、潮騒の中で聞くと、とても心地いい。
ともに畑を開き、食べ物を分かち合う。先祖が植えたココナツを大事にし、老人を尊ぶ。子どもたちの成長を喜ぶ。
とどのつまり、この島の幸せは喜びを分かち合うこと。人間の根本的な幸せだと思った。
あの旅から10年たった。飲み座の席で最近、高千穂の古老から話を聞き、タンナ島の幸せが高千穂にもあったのだと今更ながらに気づいた。
高千穂では死後、7日おきに親類や村の人が遺族の家に集まりお弔いをする。7回目の四十九日まで続くそうだ。
「死んでも寂しくねぇわの」。古老の言葉には実感がこもっている。喜びも悲しみも皆で分かち合うのだ。
隣にいた若い女性が「忙しくて迷惑に思っちょった。そんげな意味があったっちゃ」と反省していた。
誕生のときも同じだ。田植えも稲刈りもかやぶき屋根の張り替えも、実は喜びごとを分かち合っていた。
つき合いが減っても村は共同体として存在している。
隣のばあちゃんが退院してきて鶏小屋の前のいすに座っちょる。上のばあちゃんはたばこ畑で下葉をちぎっちょる。あそこん山では堅治ん方の嫁さんが草を刈りよる。
みな、互いに気を配って生きている。幸せは1人では味わえない。分かち合って初めて100%の幸せになるのだから。
『落ち穂拾い』 戦い方の話
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120805100001
「宮崎は好きじゃない。誰も本気で闘ってねぇもん」
そう言うAさんの声は怒気を含んでいる。
横浜から延岡へ移り住んで8年。Aさんは県北を中心とする、宮崎の情報発信サイトを作り上げた。
彼は、取材した街が疲弊していくのを知っている。取材した店がつぶれ、乱開発で自然が壊れ、人がいなくなる。
宮崎が好きだと言う人は多いけれど、体を張って必死にどうにかしようとする人は少ない。てげてげ。よだきい。他人の批判は出来ても自分で動くことをしない。
私は彼の言っていることに反論できない。
何より、私自身が闘っていない。よだきんぼで朝も夜も苦手だ。テレビをつければ、ぼーっといつまでも見てしまう。気がつくと、うたた寝をしている。集中力もなく誘惑にも弱い。
テレビで、「よだきい」という言葉が取り上げられていた。
「めんどくさい」といった意味だが、神話にでてくる「よだきいの木」に由来しているという。女性キャスターが持つパネルには老木が描かれ、根っこがあさ根(朝寝)と、ひる根(ひる寝)でできていて、枝には借金鳥(借金取り)が止まっている。
とても侮辱的だと思うが、知人に話しても誰も怒らない。笑って認めてしまう。
なぜ、よだきい県民性なのかを力説する人もいる。「昔から台風銀座と呼ばれちょる宮崎では、作物を一生懸命作っても台風で駄目になるき、やる気がねぇなってよだきくなったっちゃが」
私も自虐的に笑ってしまう。けれども……、けれどもである。
最近、付き合いで居酒屋に行くことが多いのだが、町のことについてみんな熱く語っている。
過疎化に少子化、それに不景気。どうにかしなければと考えている。
私自身も金銭的には苦しい状況で、なりふりかまわず仕事をして、写真をお金に換えることも可能だ。
東京を目指して競争社会に正面から飛び込むのもありだと思う。
でも、社会に消費されるだけのようで気が進まない。
最近二つのことを始めた。畑と薪集めである。
自分と家族が食べる分の何割かは自分で作りたい。
冬には自分が集めた薪で暖をとりたい。
薪を集めだすと、薪に適した樫(かし)やクヌギ、桜が目につくようになる。
町を歩いていても、「あ、あの木、欲しいなー」と目が奪われる。
自分が薪(木)に囲まれて暮らしているのに気づく。
知人に薪の話をすると、枝打ちした桜の木があると提供してくれる。木をのこぎりで切るのも新鮮で面白い。
おのはまだ使っていないが、アルプスの少女ハイジに出てくるおじいさんのように「ばしっ」と割りたい。消費するばかりでは何なので植樹もしていきたい。
これで食べて行けるわけではないが、歴史的には何万年も前から続いてきた暮らしでもある。
そういえば浅ケ部地区に住むじいさんは、稲の落ち穂拾いで2俵集めるそうだ。うーん、食べるに十分。それなら自給自足もありかもしれない。
ここには、ここの戦い方があるというわけだ。
『桃源郷』 リラックスの話
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120804190001
占星術によると、うお座は早起きが苦手らしい。
確かに、うお座の僕は子どもの頃から朝は苦手だった。毎朝、ごはんもほどほどに遅刻ぎりぎりで学校に走ったものだ。
今でも寝たままで暮らしていけたらなあ、と思うほどだ。
先日テレビを見ていたら、子どもたちのアンケートで、時間があったらしたいことの一番は「睡眠」だった。
学校の他にも塾や習い事が忙しいからだそうだ。
うお座に限らず、子どもには睡眠が必要だ。「寝る子は育つ」という。体だけでなく心の話でもある。眠りたいというのは心のSOSに違いない。
山仕事を教えてくれる知人の娘さんにも同じ質問をしてみた。中学を卒業したばかりの彼女は、突然の質問に「えーっ」と天井を見て思いあぐね、「沖縄!旅行がしたい!」。
テレビのアンケートの話をすると、土間で山菜の下ごしらえをしていたお母さんが、「萌は、寝てばっかりおるもんねー」と茶々をいれた。
家族から時には山猿と呼ばれ、姉とけんかばっかりしている萌ちゃん。なるほど! 寝てばかりいるから健全なんだ。
社会の中で子どもは子どもなりにさまざまなフラストレーションを抱えている。友だちや家庭の人間関係、勉強、将来のこと。そんな現実から心を守ってくれるのも睡眠である。
僕も写真や文章の仕事に行き詰まったり、ささいな意見のすれ違いで何もかも嫌になったりする時がある。そういうときは、とりあえず眠る。朝起きれば、何とかなるんじゃないかと開き直れることもある。
子どもの頃は、夢を見るのが楽しみだった。学校で友だちに、見た夢の話をよくした。友だちは熱心に聴いてくれるが、最後にはいつも「意味がわからん」と大笑いする。他の子も興奮したように夢の話をしだす。そして、結局は「意味がわからん」とみんなで大笑いする。
夢だから記憶もあいまいだし、そもそも辻褄があっていないのだから無理もない。
けれども、誰かにその面白さを分かってもらいたくてわくわくしながら話した。今の子どもたちには、そんな楽しみはないのかもしれない。
ゴールデンウイークに何をしたいかという調査があると、「睡眠」「何もしない」と答える大人が多い。
働き過ぎ。日本には勤労は美徳だという考え方もある。けれども、実際には「働かざるもの食うべからず」ならぬ、「働かざるもの生きるべからず」という社会なのだと思う。
心を亡くすと書いて「忙しい」。社会全体が疲れているような気がする。
「本県自殺率ワースト2」。朝刊の見出しに思わず目がとまった。昨年1月から10月までの統計では、自殺率が秋田に次いで2番目に高いのだという。
温暖で暮らしやすく、人柄のいい人が多いとされる宮崎。都会の人が癒やしを求めてこの地を訪れるが、宮崎の人も疲れているのだ。
宮崎には「てげてげ」という言葉もある。肩の力を抜いて気楽にいこう。「よだきぃ」とたまには、弱音を吐こう。
季節は春。色とりどりの花が咲き誇っている。青空の下、優しい風に抱かれて眠りにつこう。ほら、桃源郷が広がっていく。
『春が来た』 高齢化の話
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120803220001
朝起きて新聞を読んでいると、部屋の小さなスピーカーから、葬儀のお知らせが流れてきた。高千穂町の無線放送だ。亡くなった人の名前、地区、葬儀の日程や喪主名を町役場のエミちゃんが読み上げている。
春を迎える2月中旬から3月にかけては葬儀が多い。厳しい寒さを乗り越えて、ほっとして気が抜けるお年寄りが多いのだろう。この小さな町で、ほぼ毎日のように人は死んでいく。
高齢化の一つの側面だ。しかし、高齢化自体は、高千穂ではそれほど大きな問題ではないように思う。
お年寄りは腰が曲がっていようが、足を引きずっていようが草を刈らせれば若者より立派に刈る。祭りの段取りも間違いない。夜神楽などに使われるしめ縄なども、じいちゃんたちがいないと準備が滞る。料理となれば、ばあちゃんたちの出番だ。それぞれが体に染み込んだ知恵を持っている。
問題は少子化だ。町内の人口は年々減少、12年後には30%減るという予測もある。
先日、家業が寺で幼稚園も経営している学生時代の先輩と話をする機会があった。町内には1歳未満の子どもは70人ほどしかいないそうだ。それを八つの幼稚園、保育園が奪い合う。このままではどこも経営が成り立たなくなると嘆いていた。
今年、小学校と中学校が1校ずつ閉校した。高千穂鉄道の不通や校区の自由化などで、近隣の町から高校に進学してくる子どもたちの数は例年より40人も減るそうだ。そして、高校を卒業した若者たちは、就職や進学のために町を離れていく。
私は町中心部の消防団に所属しているが、定員14人のところ10人しかいない。山間部になればもっと人繰りは厳しい。50歳近くになってもホースを担いで走らざるを得ない。集落ごとに行っている祭りや水の管理、用水路の清掃などができなくなりそうな所もある。
さあ、大変だ。このままでは町の未来は無い。そう思ってもしかたがないのだが、そう思わないのが、独立独歩の精神で生き抜いてきた高千穂の山の民である。
天岩戸伝説が残る天岩戸神社のそばの五ケ村地区には神楽の館という農家民宿がある。わらぶき屋根の立派なものだ。地域おこしグループのメンバーがお金を出しあって日之影町の大人地区から移築した。毎年夜神楽が奉納され、都市との交流やグリーンツーリズムも盛んである。
会のメンバーの佐藤光さん(56)は言う。「なんもせんければ終わってしまうが……。五ケ村の老人会は、80歳以下は青年部といってみんな頑張りよるばい」。神楽の館の移築にかかった借金返済のめどはつき、今度は1千万円かけて石倉を移築し、カフェを開くそうだ。資金繰りはみんなで知恵を出し合っている最中だ。座して死を待つより、生きるために行動するということだろう。
そういえば去年のことだが、土呂久地区惣見という16戸の集落で待望の赤ちゃんが生まれた。谷の斜面に30戸はあった集落はだんだん小さくなり、全戸で子どもは5人ほどになってしまっていた。だから、赤ちゃん誕生は大きなニュースだった。
いま春の日差しの中を、ひいばあちゃんにおんぶされて散歩し、赤ちゃんはキャッキャと笑い声を響かせる。
その笑顔を見ていると、少子化だろうが高齢化だろうが何とかなると思えてくるから不思議だ。
ソウルフード
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120803260004
幼稚園に通っていたころは、毎日のように朝夕とも黄な粉かけご飯を食べていた。私はこれで大きくなったようなものだった。
母などは、私が進学して大阪で暮らすようになっても、黄な粉をよく食べていた小さい頃の私を思い出すためか、小包には必ず黄な粉を入れて送ってよこしたものだった。
小さい頃から慣れ親しみ、自分自身と切り離せない食べ物。郷土料理だけでなく、私にとっての黄な粉かけご飯のようなものも含めてソウルフード(魂の食べ物)というそうだ。
先日、高千穂で開かれた「小昼の会〜師走編」という催しをのぞいてみた。小昼は「こびる」と読む。田畑や山仕事のときなどに食べる、家庭で作った軽食やおやつのことである。もちろん、子どもたちも一緒に食べることもあったという。
テーブルの上には地元のおばちゃん、おばあちゃんたちが持ち寄った小昼メニューがずらりと並べられている。その品40種類以上。
高千穂では定番のだご(だんご)、黒糖パン、赤飯。あられや棒ドーナツなどの揚げ物類。煮しめや栗の渋皮煮。
そして、小麦粉を練ってゆでたものに黄な粉をまぶした「ねったくり」。久しぶりの黄な粉は、やはり小さい頃を思い出させる。他のものも、自分が生まれ、暮らしている高千穂の味で、ソウルフードと言っても決して大げさとは思えなかった。
会は、町の若者が小昼文化の掘り起こしと、新しい小昼メニューを開発しようと開いた。高千穂の「食の文化」が日常の食事だけではなく、観光客に出す食事にも反映されていないのが残念だからというのだ。
それにしても、集まってきた女衆(おなごし)の生き生きとした表情はどうだろう。自分の料理と他人のを見比べ、食べ比べに余念がない。好奇心、探究心で目が爛々としている。若者たちも品数の多さや味に興奮している。遠く異国のフォアグラやキャビアを夢見るのではなく、足もとにあるものを見つめることができたのはいいことだった。
高千穂には小昼だけでなく本格的な郷土料理もたくさんある。竹筒に鶏と季節の野菜を詰めてしょうゆ、塩コショウで味付けして蒸し焼きにする「かっぽ鶏」。竹の風味も相まっておいしい。その後に、米と酒でかっぽ飯にするのもおつである。鹿の刺し身やイノシシ鍋、地鶏うどんに、里芋やシイタケなど山の幸をふんだんに使った煮しめ。珍しいところでは蜂の子(幼虫)とナスのみそいため。
旅館でも観光客に誇りを持って提供できるものだ。ところが、あたり前すぎると考え、ごちそうとして出すことができないようなのだ。
ある旅館は、漁師の団体客に良かれと思って刺し身を夕食に出し、「腐っているんじゃないのか」と言われたそうだ。新鮮な魚に慣れている漁師にすれば、山奥で刺し身を出されてもうれしくはなかったろう。
自分たちの食文化に誇りを持つ。そこから出発してもいいのではないだろうか。若者たちが今の時代にあった小昼メニューを作るというのなら、それもいい。旅館や飲食店と協力して販売すれば観光客も喜ぶだろう。雇用も増えて町も潤うかもしれない。豊かな食文化を後世に伝えていくことになるのかもしれない。
高千穂にはまだまだ、さまざまな料理がある。だごの一つでも持って、ソウルフードを探しにぶらりと歩いてみたくなった。
『明日への種』 挑戦する女性の話
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120803060001
『よりどころ』 心のあり方の話
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120712080001
『サトミキサクヤ姫』 町づくりの話
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120711050001
『生か、死か』 高千穂線の話
http://mytown.asahi.com/miyazaki/news.php?k_id=46000120711020002
土曜リレーエッセイ 『ひむか日和』 他の作者がご覧いただけます。写真は僕です。
http://mytown.asahi.com/miyazaki/newslist.php?d_id=4600012
投稿者 hujiki : 2008年06月10日 11:06
コメント
藤木さんのエッセーを毎月楽しみに読んでいます。やわらかな文体で、心が温まります。
私も、今までエッセーの書き方など考えたこともありませんでしたが、最近書く機会をいただき、アドバイスを受けているうちに、おぼろげながらエッセーというものがわかってきました。(といってもまだまだ未熟で、勉強中ですが)
無から有を生み出すのは簡単ではないけれど、文章を書く(創造する)ことはやはり楽しいと思います。書いているうちに、思いがけない自分に出会えるということもありますよね。
毎回素敵な写真をありがとうございます。
私もがんばります。
投稿者 まつもとまさこ : 2008年06月11日 00:10
まつもとまさこさん、ありがとうございます!
色々と褒めてもらって嬉しいですし、ブログを見てくださっているのもありがたいです♪
エッセーは難しいです。もう少しで上手く書けるコツを得とくできるような気もするのですが書いてみるとまだまだ。形になっているのはアドバイスの賜物ですね。視点を磨かなければと思います。これからも、宜しくお願いします!
投稿者 テツロー : 2008年06月11日 00:34
「視点」をどこに置いて書くかは、本当に難しいですね。
私自身も、決してドラマティックな人生を歩んでいるわけではないので、ごく平凡な日常をどのような切り口で書くべきか、いつも悩んでいます。
やはり、アンテナを高くして素材を見つけたり、視点を変えたり、自分自身が変わらなければならないのだと思うようになりました。
しかし、プロに助言していただくのは本当に有り難いと思います。今まで自分がいかに我流で書いていたかに気付かされました。
まだまだ修行中です。
これからもよろしくお願いします。
投稿者 まつもとまさこ : 2008年06月11日 08:52
明朗簡潔なエッセイで読んでで面白かったです。
追伸
勝手ながら私のブログからリンクさせていただきました。
http://mitzse-hbf.cocolog-nifty.com/blog/
投稿者 ミツセ : 2008年06月11日 12:56
まつもとまさこさん、自分自身と向かい合う作業が必要だなと思います。勉強になりますね。
ミツセさん、読んでいただいてありがとうございます♪リンクも♪よろよろですが、これからも頑張ります!
投稿者 テツロー : 2008年06月11日 22:24