青島の海で裸まいり!
極寒の海に入って身を清める青島神社の年頭行事『青島裸まいり』☆ 約40年ぶりに『青島神楽』が復活!
寒風吹き荒れる青島の海に入り身を清める青島神社の裸まいりは、全国的にも珍しい年頭行事として毎年成人の日に行われています。今年も約500名の参加者が海に入り、禊を行いました。
また、前夜祭には40年ぶりの復活となる青島神楽や地元の野島神楽が奉納され、裸参り当日には青島臼太鼓が披露されるなど、例年よりもさらに躍動感のある行事となりました。
(レポート:スポーツ担当 黒田健)
前夜祭
主催:青島裸まいり実行委員会
日時:平成26年1月12日(日) 19:00~20:30
場所:青島神社 拝殿前境内
内容:神前神楽・青島神楽・野島神楽(宮崎市無形民俗文化財)
まずは、暗闇の中に列を作り後ろを振り返らないように進み、本宮に参拝。まっすぐな思いを込めて感謝の気持ちを伝えます。
▲ふるまい:先着100名様へ甘酒(ノンアルコール)・青島てんぷらのふるまいが行われました。
【青島神楽】
前夜祭では、青島神社にて青島神楽が奉納されました。今年は記紀編さん1300年を記念して、約40年ぶりに青島神楽が復活!他の神楽ではあまり拝観することのできない、演目「鵜戸舞」が披露されました。
約40年の時を超え復活した青島神楽。凍えるような寒さの中、青島神社の拝殿前には多くの方が集まり、その貴重な神楽を拝観しました。
舞い手はたったひとりの少年。この日のために1人で練習し、これが初舞台とのこと。神楽を舞う荘厳な姿は、多くの人の心を惹きつけているようでした。
青島神社の神楽は、伊勢神楽伝承者である工藤祐経の六代の子孫・伊東祐持が、日向の都於郡に下向したとき、長友家の先祖・阿倍弥三郎がこれに従って伝えられたものといわれています。その後、一時衰えましたが、天正十五年(1587年)に伊東藩が成立した際、長友玄藩(げんぱ)が復興したと伝えられています。
ちなみに、「鵜戸舞」とは、女面の舞人が釣竿を用い漁をする様子を表した、豊漁を願う神楽です。(宮崎市観光協会HP参照)
【野島神楽】
続いて行われたのは、野島神楽。舞い手に神力を与えてくれるような神楽面の美しさが特徴です。文化や伝統、そして舞い手の魂を受け継いできたかのような、歴史の重みを感じる神楽でした。
青島神社 新春の禊・裸まいり
主催:青島裸まいり実行委員会
日時:平成26年1月13日(月・祝) 10:30~12:00
場所:青島神社
参加者が訪れる前、青島神社では湯立神事や青島臼太鼓踊りの奉納が行われました。
▲湯立神事
▲青島臼太鼓踊り
青島臼太鼓踊り (県指定 無形民俗文化財)
飫肥の領主・伊東祐兵が、豊臣秀吉の命により朝鮮出兵に従軍した際、敵を威嚇し、味方の士気を鼓舞するために踊った名残りと伝えられています。平部僑南著『日向纂記』には、宝永4(1707)7月4日に飫肥城下盆踊りとして公許され、以後毎年7月14、15日に踊られるようになったという記述があります。
県内には数多くの臼太鼓踊りが存在しており、扮装・芸能形態・由来等において共通点も少なくありません。しかし、その中で、青島臼太鼓踊りは、踊り手が面組と太鼓組に分かれること、面組が鬼面紙蓑をつけ黒杓子と擂粉木を持つなどの特色があります。
毎年、青島地区の八月祭で大将軍神社に奉納され、唄や鉦、太鼓の囃子に合わせて勇壮に踊られます。(宮崎市HP参照)
【身清め・禊】
青島のホテルをスタートした裸まいりの参加者は、大勢で声をかけながら青島の参道、青島にわたる弥生橋を駆け抜けていきます。神社の前に集まった人々は、声をそろえて準備体操を行い、いざ海の中へ!
神様が青島神社に入る時の道とされている、「鬼の洗濯岩の」間の海で、禊を行いました。もともと裸まいりは深夜に真っ裸でおこなう行事でしたが、時代の流れと共に今の褌のスタイルに変わったのだそうです。
禊を終えた参加者は、青島神社に参拝を終え、再び駆け足で参道に向かいます。参道ではバケツに入った水を全員で掛け声に合わせて浴びて身を清め、裸まいりは終了しました。