村上“PONTA”秀一 「ドラムライブ」in のべおか
延岡木工団地内の倉庫(有限会社イエムラ倉庫)を利用してつくられた手づくりライブスペース『NOBEOKA WOOD WORK HALL』にて、『村上“PONTA”秀一 ドラムライブ in のべおか』が開催!
2009年6月19日(金)、延岡木工団地内の倉庫(有限会社イエムラ倉庫)を利用してつくられた手づくりライブスペース『NOBEOKA WOOD WORK HALL』にて、『村上“PONTA”秀一 ドラムライブinのべおか』(主催:サウンドビーチすみえ実行委員会)が行われました。
村上“PONTA”秀一さんといえば、これまでに日本国内において参加したレコーディング曲が、なんと14,000曲を越える(井上陽水、吉田拓郎、山下達郎、松任谷由美、吉田美奈子、矢沢永吉、沢田研二、角松敏生、尾崎豊、DREAMS COME TRUE、etc)という日本屈指のドラマーであり、その技術と感性は世界的アーティスト達からも絶賛されていることで有名です。
きっと一度でもドラムのスペシャリストを目指した方であれば、その名前は充分すぎるほどご存知だと思われますが、今回のレポートでは、そんな村上“PONTA”秀一さんの「ドラムライブ」の風景をご紹介したいと思います。
(文:木原ケイ、撮影:甲斐英利)
全国ソロライブサーキット09/ドラムライブinのべおか
場所:延岡木工団地内『NOBEOKA WOOD WORK HALL』(イエムラ倉庫)
イエムラURL:http://www.iemura.com/
開催日:2009年6月19日(金)
主催:サウンドビーチすみえ実行委員会、SlowWalkin’
協力:(有)イエムラ、Kaji-on、パワナビ
村上“ポンタ”秀一
村上“PONTA”秀一 プロフィール
※プロフィール画像及び文章は公式ホームページより抜粋。
村上“ポンタ”秀一
SHUICHI“PONTA”MURAKAMI (Drums,Produce)
1951年1月1日 兵庫県西宮市生まれ/山羊座/O型。
1972年、フォーク・グループ“赤い鳥”に参加。
以降、渡辺貞夫、山下洋輔、坂本龍一、後藤次利ら、超一流ミュージシャンとセッション、さらに井上陽水、吉田拓郎、山下達郎、松任谷由実、吉田美奈子、矢沢永吉、沢田研二、さだまさし、泉谷しげる、桑田佳祐、長渕剛、EPO、角松敏生、尾崎豊、など、膨大な数のミュージシャンのスタジオ・レコーディング、ライヴに参加。
レコーディングはゆうに14,000曲を越える。
93年、自身初のリーダー・バンド“PONTA BOX”を結成、99年にはフジテレビ系「ニュースJAPAN JAZZ GIANTS」出演。
また、同局『スーパーニュース』の音楽をPONTA BOXが担当し、03年4月よりフジテレビ系「堂本兄弟」第2期DOMOTO BROS.BANDとしてレギュラー出演。
近年のリーダー・アルバムとしては、98年に音楽生活25周年を記念した『Welcome To My Life』、04年には30周年アルバム『MY PLEASURE』を発表。
06年には、プログラミング音源に対してドラムでインター・プレイを試みた問題作『Rhythm Designer』が話題に。
昨年にはそのライヴ映像作品『Live! Rhythm Designer〜Shuichi“PONTA”Murakami Solo Performance 2006@青山円形劇場』も発表している。
現在も、サウンド・プロデューサーとしてさまざまなアーティストと新たな音作りを続ける一方、ドラム・クリニックをはじめ、後進の育成、指導にも積極的に力を注ぐ。
いちドラマーとしてだけでは捉えきれない高い音楽性と幅広い活動を繰り広げる、日本を代表するトップ・アーティストである。
手づくりライブ会場準備風景
「えっ延岡木工団地内の倉庫でライブ?そんなスペースあったっけ……」と思われるかもしれませんが実は木工団地内にて営業されている「有限会社イエムラ」さんが普段資材置き場として使用している倉庫なんです。
そんなことから、ライブ会場設営前までは、様々な家具類や資材が、ずらりと並んでいました。それを今回のライブの為にわざわざ別の場所に運んで下さり、その空いた倉庫にスタッフ達(サウンドビーチすみえ実行委員会)が掃除や装飾を施し、ライブ会場として使えるようにセッティングをしました。
また延岡ではお馴染みの『ひでじビール』さんや。地元で人気のパン屋さん『とも麦』さんにご協力をいただき、会場を盛り上げていただいまいした。
設営作業を見ていて感じたのは「会場が木工団地内でよかった!」ということでした。何故なら、工具からちょっとした材料、さらに巨大なパネルに、ステージにだって使えるほどのしっかりとした木材など、会場設営に必要なものがなんでも揃っているからです。さらにお洒落な家具だってたくさん揃っているから、飾りつけにも事欠きません。なにより機材搬入時に必要な大きな開口部が、ステージの真横あるのは嬉しいことです。心配だった「反響音」も、倉庫の壁材と屋根の形状から、まったくといっていいほど気になりませんでした。
『NOBEOKA WOOD WORK HALL』という名前も、木工団地内のホールならではの名称ということで、スタッフが名づけました。もちろん看板も手づくり(撮影に来ていたパワナビ甲斐がその場でつくったもの)です。
会場周辺マップ
一部:ドラムクリニック
第一部は、村上”ポンタ”秀一氏による、質疑応答形式のドラムクリニックが行われました。
リズムキープの方法や、スティック捌き、無理のない体の使い方、といったドラムに関する質問はもちろんの事、その他ポンタさん個人に関する質問や、これまでに出会った様々なミュージシャン達とのエピソード等にも、持ち前の「ポンタ節」を随所にちりばめながら、丁寧に答えてくれました。
地元ミュージシャンとのセッション
地元で活動している『津軽三味線森山流』の森山由希華さんとのセッションでは、ドラムと三味線のみの珍しいセッションを見ることができました。
シンプルな音色が絡み合って出来上がる独特の掛け合いがとても新鮮かつエキサイティングで、さらに「ぶっつけ本番」ならではの緊張が客席にも伝わり、聴いている側も知らず知らずにのめり込んでしまい、なんだかあっという間に終わってしまったように感じられました。
リズムデザイナー「村上“ポンタ”秀一」ソロライブ
もしかすると、ドラムライブを体験したことのない方からすれば、「いったいドラムだけでどうやってライブするの?」と不思議に思われるのではないでしょうか?
それではどのようにライブが行われたかといいますと、来場者の皆さんにはポンタさんのドラミングを十二分に堪能できるよう、あえて「生音」はドラムのみとし、その他の楽器パートはミュージックシーケンサー(演奏データを再生することで自動演奏を行う装置)が行います。シーケンサーの音源を効果的に使用しつつ、音源から流れる音に、ポンタさんが瞬時に反応し、それを様々なリズムに置き換えるというスタイルをとっていました。
「リズムセクションは、ただ叩けばいいってもんじゃない。ドラムを”演奏“する事が大事」と、第一部の「ドラムクリニック」でポンタさんが語ってくださいましたが、この『ドラムソロライブ』では、「ドラムを演奏する」ということを目の前で実践してくれました。
その音色は、時に優しく、時に激しく、まさにドラムならではのお腹の底で感じることができるメロディを、たっぷりと聴かせてくれました。なにより、ドラマチックな構成が、まるでテンポのいい映画を観ているようであり、色や風景までが、しっかりとイメージできたことがとても印象的にのこりました。
撤収と打ち上げ
あっという間に過ぎていった約2時間半のライブは以上で終了。この『NOBEOKA WOODWORK HALL』もまた次の日からは、いつも通りイエムラさんの資材倉庫としての働きが待っています。今回のライブを企画したスタッフ達は、感激の余韻に浸る間もなく撤収作業に取りかかっていました。
そんなスタッフたちの動きを影で見ていたポンタさんより、作業終了後に今回のツアーでポンタさん自身が使われたスティックをプレゼントして下さいました!これにはスタッフ達も感激したと同時に、終始緊張しっぱなしだった表情からも、安堵の笑みがこぼれていました……。
また打ち上げの席では、引き続き豪快な「ポンタ節」も聞くことができ、記念撮影にも気軽に応じてくれ、さらに「手づくりライブスペース」に関しても「気持ちよく演奏ができた!」と好印象だったことを、地元スタッフに伝えていました。
なにせ地元の若者達が集まった、10人足らずのスタッフ達からしてみれば、何もかもが素人による手づくりという環境の中に、世界の舞台で活躍している音楽家を招いていることから、「果たして気持ちよく演奏してもらえるのか?」ということが一番気がかりだったようです。だからこそ、打ち上げの席でのポンタさんの言葉を聞いて、スタッフ達はやっと達成感を感じることができたようでした。
ちなみに今回のライブには、私、木原ケイが大いに関わっておりましたので、最後に関係者ならびに、当日会場に足を運んでくださった皆様に、ひと言お礼を言わせてください。
「私達の企画に快く参道してくださった『村上“PONTA”秀一』関係者の皆様、また、お忙しい中企画から準備、会場提供までご協力いただきました、有限会社イエムラの皆様、設営および運営に協力いただいたサウンドビーチすみえ実行委員会の皆様、本当にありがとうございました。そして今回、この手づくりライブスペースにご来場頂きました皆さまには、いろいろと不便なところがあり、ご迷惑をおかけしたかと思いますが、次回は今回以上に楽しんで頂けるよう、細かい部分にも気を配り頑張りたいと思いますので、また今後ともよろしくお願いいたします」